イベント開催報告

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イベント開催報告

七夕まつり
〜再発見!あなたの町のものづくり〜徳地編〜

 平成18年7月7日(金)から8月7日(月)まで、山口ふるさと伝承総合センターまなび館で、徳地和紙をつかった七夕飾りや和紙人形の展示が行われています。
 まなび館では昨年の1市4町に伴い各地域の伝統工芸に携わる行事や指導の方々を通して、国民文化祭に向け地域密着型の交流を高めていきます。

 今回は徳地地区に古くから伝わる伝統民芸品である「徳地和紙」を使い七夕飾りを作製し、旧暦の七夕(8月7日)まで展示を行います。
 徳地地区は和紙の原料である楮(こうぞ)、三椏(みつまた)の生育地として適しており1186年来の歴史があり、現在でも手漉き和紙の製作が行われています。

 これは「紙人形歩々」 による徳地和紙人形です。
 「紙人形歩々」 のみなさんは徳地の伝統工芸品である手漉き和紙を使って、季節に合った和紙人形を作ってらっしゃいます。

 また7月6日(木)午後1時から、東山保育園(大殿地区の幼稚園・保育園)に協力してもらい、園児が作った七夕飾りの飾り付けが行われました。
 短冊に願い事を書いて、自分で結んで。さいごにみんなで童謡「七夕」を合唱しました。
 こどもたちの七夕飾りは、徳地和紙で作られた七夕飾りとならんで立てられています。あわせてご覧下さい。
 その他、昔ながらの日本の行事をより身近に感じていただけるよう、誰でも自由に短冊に願いを書いてもらえるスペースが準備されてます。

○ミニ知識 七夕
『わし座の牽牛星とこと座の織女星が1年に1回7月7日に出会うという七夕伝説は中国から伝わったものといわれています。
 天帝の娘、織女(しょくじょ)は、機織が上手な働き者で、他のことには見向きもしない娘でした。こえを憐れんだ天帝は、天の川の対岸に住む、同じく働き者の牽牛(けんぎゅう)に織女を嫁入りさせたところ、ふたりはすっかり仲良くなり織女は全く機織をしなくなり、牽牛も牛追いをしなくなりました。これを怒った天帝は織女を連れ戻してしまいましたが、ふたりの悲しむ姿をみて、1年に1度七夕の夜だけ天の川を渡って会うことを許したといわれています。
 また、この七夕伝説と、別の年中行事の、女性の機織や裁縫、そして男性の牛飼いや農耕の技術の上達を願った「乞拓奠(きっこうでん=技が巧みになることを願う)」が一つになったものが中国の七夕まつりとされています。
 そして奈良時代、日本固有の畑作の収穫祭と、盆迎えの祓えの信仰が、中国の星伝説や乞拓奠の風習と混ざり合って日本の七夕が成立したといわれています。
 日本で初めて七夕まつりが催されたのは、孝謙天皇の天平勝宝7(755)年とされています。古くは、7本の針に5色の糸を通して巧みな機織を祈り、琴を机の上において香炉を炊き、芸の上達を願いました。のちに、七夕行事として歌を供えるようになり、梶の葉に歌を書き、硯や筆などを供えました。
 江戸時代になると笹竹を立て、芋の葉の露で梶の葉に和歌を七首かいていたのが、やがて笹竹は長い竹となり、梶の葉は短冊に代わり、願い事も恋人・良縁・合格・幸福へと変換して今の七夕になりました。
 七夕には五色の短冊、五色の糸など「青・赤・黄・白・黒」の五色を欠かせませんが、これは「木・火・土・金・水」の五つの元素が天地を循環していて、その動きの解明で万物を知るという中国の陰陽五行説に由来しています。
 また人の守るべき五つの徳を五常といい「仁・礼・信・義・智」がそれぞれの色に対応しています。短冊に願い事をするとき、黒の短冊には学業の向上、赤の短冊には父母や祖先への感謝の念を託してみるのもいいかもしれません。』

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