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イベント開催報告

雲谷庵屋根拭き替え

 

 山口市天花にある市指定史跡雲谷庵は、雪舟がアトリエとして使っていた場所といわれています。明治17年に地元の有志が建てたものです。
 屋根は今では珍しい茅葺(かやぶき)です。茅で葺かれた屋根は、むかしは一般によくみられたものですが、現在は瓦に葺きかえられたり、トタンで覆われていたりして、見ることができません。

 茅葺はこのように年月がたつと、植物が根をおろしていき、痛みます。
 そこで定期的に葺き替えが必要となります。

 今回は葺き替えて10年程度しか経っていないので、表面だけの葺き替えとなりました。

 

 茅葺職人はいまは少なくなり、この人はむかしは専門でやっていましたが、茅葺屋根が減るにつれ仕事も減り、いまではおもに庭師の仕事をしているそうです。
 この方が引退されたら、近在で茅葺を葺ける人はいなくなるかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 屋根の横竹は職人の足場です。

 きれいになるとこのとおり。
 約2週間かけて表面を葺きかえられました。

 茅の先が切りそろえられています。

 猫の毛のような、おもわず触りたくなる仕上がりです。

 屋根の足場からみた風景です。今後この眺めを撮影できるのは十年後の次の葺き替えの時です。
 左に見えているのは八坂神社の森です。

 こちらは鴻の峰を眺めた景色。

 さて、この雲谷庵への道ですが、国道9号線にある七尾山トンネルの、県庁からすすんでトンネル直前の交差点を左に曲がるとこのような道に入ります。

 その道そいに雲谷庵の入口があります。駐車場も付近に完備されています。

 石畳の坂道を上がっていき、曲がると雲谷庵です。

 

 庵敷地内には、一段高くなったところがあり、そこからは塀の上から瑠璃光寺五重塔が眺められるようになっています。

 雪舟もこのような角度で毎日五重塔を眺めていたとおもうと、味わい深い景色です。

 雲谷庵跡は、雪舟の旧居跡です。雪舟は40歳前後に山口に来住し、45歳の頃には、この地にあった雲谷庵に住んでいたといわれます。
 応仁元年(1467)遣明船で中国に渡り、帰国後も、雪舟は雲谷庵に定住し作画活動と弟子の養成に努めましたが、永正3年(1506)87歳のとき山口で没したといわれています。
 雪舟の死後、雲谷庵には弟子の周徳(しゅうとく)、次いで3世等薩(とうさつ)がその画統をつぎましたが、大内氏の滅亡とともに庵はいつしか荒廃してしまいました。
 毛利輝元(てるもと)は、雪舟の画脈が絶えることを惜しみ、肥前の原治兵衛(はらじへえ)を召し出し、雲谷庵の地を与え、ここに居住させました。原は雲谷を姓とし、名を等顔(とうがん)と改め雪舟の画脈4世を称し、その子孫は代々毛利氏に仕えました。
 明治の廃藩後、雲谷庵は無くなりその跡も忘れられるようになったので、有志等が図り、明治17年(1884)に古い社寺等の古材により庵を復興しました。
 昭和57年(1982)に発掘調査が行われ、青磁(せいじ)片や瓦質土器(がしつどき)片が見つかり、室町時代の遺構が存在する可能性が強まりました。

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