イベント開催報告

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イベント開催報告

講演会「山口県の酒の歴史」

 

 10月15日、山口市菜香亭で、菜香亭歴史学習会「講演会『山口県の酒の歴史〜江戸時代を中心に』が開催されました。講師は山口市菜香亭の福田礼輔顧問と、やまぐち発酵文化研究所の柏木享代表です。福田さんは山口県の清酒を通してのつきあいにまつわるお話をされました。

 柏木さんは、元山口県産業技術センター食品技術部専門研究員として長年にわたり発酵食品の新規開発に尽力されました。また、県内の酒の歴史について執筆されています。桜の木から酵母をとって日本酒をつくった方といえば思い出される人も多いのではないでしょうか。

 講演は酒造りについてから始まりました。どの酒でも、酵母がブドウ糖を食べてアルコールが発生します。しかし米はでんぷんです。日本酒をつくるには、麹菌を入れて米のでんぷんをブドウ糖に変えるという、ふつうの酒よりも手間がかかる作業が必要です。世界の酒の歴史をみても大変高度な技だそうで、それが大昔から行われていたというのは凄いことだそうです。

 日本の国の歴史が始まった奈良時代には早速山口県の酒の記録があるそうです。正倉院文書「正税帳」の天平9年(737)には長門の国から酒24キロリットル、天平10年(738)には周防の国から酒7キロリットル(約8トンの原料米が必要。国府の酒殿で製造)納められた記録がありました。このころすでに澄酒といって現在の清酒のような酒があったそうです。

 中世は大型甕ができて大量生産が可能になり、技術の進歩でアルコール度数15%以上が可能になりました。
 江戸時代の寛文5年には県内に542軒の酒屋(酒造及び販売)があり、柏木さんの計算では1人当たり推計で年間21リットルの酒を飲んでいたろうというお話です。

 技術的に見て現在の清酒とくらべて遜色のない酒が出来ていたのではないかと推測されていました。その根拠が精米として水車の導入です。酒造りの先進地灘より50年遅れて萩に水車が導入されました。その後、柳井でも水車が設置され、美味しい酒をつくるための精米が行われていたそうです。

 さて、会場には山口県埋蔵文化財センターよりお借りした古墳時代の土器を展示していました(撮影のためケースから出しています)。これは市内の国道9号線のトンネルの上にある朝田古墳から出土したものです。ざっと1500年まえのものです。「はぞう」といわれており、県内の古墳遺跡からは多くみつかっています。

 学界ではまだ定説になっていませんが、おそらく酒造りのためのもので、この中で発酵させ、穴に筒をさしこんで、酒を取り出していたのではないかといわれています。これが県内どこからでもみつかるのですから、山口県人の先人は相当の酒好きだったとおもいます。

 総論として、山口県には、古墳時代から現代まで、全国的にみて史料が多いところだそうです。それだけ先人は酒好きだったのではないだろうか。現在でも、県内でだけ新品種の「西都の雫」という酒米がつくられ、その酒米から作った日本酒は全国のコンクールで金賞を受賞するほど高い評価を得ているそうです。
 講演後、参加者からは活発な質問がなされ、興味の高さがうかがえました。現在の山口県人も先人に負けず劣らず酒好きなのかもしれません。

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