イベント開催報告

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イベント開催報告

(2013・9・10/更新10・1)


 9月10日から10月14日まで、山口県立山口博物館で、テーマ展「杉孫七郎〜長州ファイブより先に世界を見た男」が開催されています。


 杉孫七郎の曾孫にあたる方から、孫七郎関係資料約800点が同館に寄贈されたことを記念し、孫七郎の業績や遺墨などを紹介する展示会です。


  杉は、文久元年(1861)年に幕府の遣欧使節団に随行。明治維新後は主に宮中の官僚として活躍し、枢密顧問官などを歴任しました。明治20(1887)年子爵。長州三筆の一人とよばれる能書家で、多くの漢詩などの作品を残しています。

 晩年の杉孫七郎の写真です。有能な官僚で、性格は、礼をわきまえ豪儀で陽気で冗談好き、友人からの信頼がとても篤かった人です。
 天保6年(1835)に生れ、大正9年(1920)に亡くなりました。高杉晋作、木戸孝允、伊藤博文、井上馨など幕末維新をともに駆け抜けた友人の没後のことで、長生の晩年は寂しさを感じることもあったかもしれません。


 杉は山口市大内御堀に家のある植木家の次男でした。その後、萩の杉家に養子に入りました。ということで山口市出身とされていますが、今回展示された杉自筆の履歴書によると萩江向馬場町で生れた事になっています(画像参照)。今後の調査が待たれるところです。


 こちらの写真は、山口市にある古熊神社の奥にあった杉の家。いまでは更地で草が茂っており、人も踏み込めぬ場所になっているそうです。なぜそんな奥に住んだ?と不思議におもいますけど、その静けさがよかったのでしょう。


 「聴雨詩稿箱」です。「聴雨」は孫七郎の号です。調べたり、書きとめた冊子・巻子が納められていました。今回の展示品もこの中からのものが多いです。


 孫七郎のライフワーク「環海詩稿」の草稿です。文久元年の幕府の遣欧使節に長州藩から一人参加したときのことをつづった漢詩文集です。人生においてとても意義ある思い出深い出来事だったようで、畢竟の詩集にしようと人生の大半をかけて推敲しています。

 杉孫七郎といえば書で有名ですが、書の内容の漢詩は自作です。それらの漢詩は、即興でなく、あらかじめ下書きし推敲し清書したもので、今回の寄贈された資料に下書きがたくさんあるそうです。
 明治時代の木戸孝允の日記には、山口滞在中は、夜ごと杉孫七郎と自作の漢詩について相談していた記述があります。長州閥の政治家は文学を知らないと言う見方がありますが、漢詩という今では忘れられた文学ジャンルを、みな好み、これに精通しています。文学史から抜け落ちている漢詩というジャンルが見直されたら、見方も変わると思います。


 杉孫七郎の漢詩集は本にもなっており、山口県立山口図書館所蔵の「回春集」は、杉孫七郎自身の寄贈という署名があります。


 今回発見だったのは、杉孫七郎の書といえば漢字ばかり知られていて、こういうひらがなの書は珍しく、しかもやはり上手いということです。


 この屏風は、晩年、自作の漢詩や著名な漢詩を書いて貼ったものです。自作の漢詩には朱が入っていて、推敲していたことが分かります。なぜこういう屏風をつくたのか不明です。

 さて、書家としての杉について紹介してきましたが、今回の展示では官僚としての足跡を紹介する資料がたくさん展示されています。
 こちらは枢密顧問官に任命されたときの辞令。こういうのまで保存しているとは丁寧な性格が偲ばれます。署名だけですが明治天皇の書を拝見する機会というのは滅多にないと思います。


 こちらは、明治31年帝国議会開院式通知状に付されていた式場図です。どこに座るか示されています。これをみながら登院したのでしょうね。


 杉は明治17年から30年まで、明治天皇の皇太后に仕え、明治27年からは15才の皇太子(大正天皇)の御用掛になり、習字を教えていました。当時の大正天皇の日課がこちらです。月曜日と水曜日の10時半から30分間教えていました。


 山口県立山口博物館所蔵の木戸孝允の硯箱です。没後に「松菊公遺愛硯箱」と書いたのは杉孫七郎です。友情です。


 こちらは三条実美の書。付き合いからもらったものでしょうか。


 こちらは大内義隆の書状です。こういうのも杉孫七郎は所蔵していました。杉孫七郎の杉家は大内氏の重臣杉家の末裔です。ご先祖に関心が深かったことがうかがえる所蔵品です。

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