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イベント開催報告

市歴史民俗資料館常設展「幕末を紐解く」

(2014・6・12/更新7・1)
 

 山口市歴史民俗資料館は昭和56年に建設された市の資料館です。大村益次郎関係史料や河北一関係史料を中心に幕末維新関係の史料もたくさん所蔵されています。
 秋までは常設展「幕末を紐解く−館蔵資料からみる山口の歴史−」が展示されています。


 3つのコーナーに分けられています。「長州藩と洋学」「藩庁移転から四境戦争へ」「御具足祝式図献上」。

 藩の重臣に登用された周布政之助が富国強兵を推し進め、洋学を積極的に取り入れるため藩士を長崎や江戸へ派遣します。
 そういう動きの中で、大村益次郎(村田蔵六)を士分として雇いいれることになるのです。
 こちらは周布政之助の書状。こういう字を書く方です。


 さて、NHK大河ドラマ「花神」の主人公として有名な大村益次郎の、同館にある史料の説明パネルです。大半が書状で、他に自筆原稿、作戦手記などが所蔵されていることが書かれています。


 その大村益次郎の覚書。左から2番目に高杉和助(晋作のこと)と書かれています。元治元年(1864)から翌年にかけて、藩内は、いわゆる正義派と俗論派の政権交代が相次ぎました。誰がどの役職に着いたか、政権が変わるごとにメモしたものです。


 こちらは第二次長州征伐で長州藩の軍事のトップについた大村益次郎が、芸州(広島)口の北境での作戦計画書です。敵陣に夜襲を加えるとともに敵の携行する武器も奪取する内容です。図でもわかりやすく書かれています。


 また、当資料館には商家萬代家の史料も所蔵されています。その中からいくつかの書状と写真が展示されていました。

 こちらは、慶応元年(1865)山口町奉行の井上三郎五郎(井上馨の兄)が、五代目利兵衛に宛てた褒状です。軍艦の購入資金を納めた事への褒美として金百両を賜ったばかりか、藩主へのお目見得を許されています。きっと大変な額を藩へ寄付したものと思われます。
 財政の苦しい藩は、幕府と戦争をするのに豪商豪農からの多額の寄付に助けられており、萬代家も貢献したことがわかります。

 当時の地元の史料がたくさんならぶこの常設展「幕末を紐解く」は秋まで展示の予定です。


 また、現在、こちらのコーナーでは「歴民コレクション かるた」が展示されています。

 江戸末期〜明治時代の頃の、二枚貝の「貝合わせ」。大きさから観賞・贈答用とおもわれます。日本は昔から、二枚貝の貝殻の一方を探す「貝合わせ」などの遊びがありました。この遊びと、外来の「かるた」(日本のかるたは室町時代後期にポルトガル人に寄ってもたらされたウンスンカルタといわれています)の影響を受け、百人一首かるたに代表される歌かるたに発展しました。

 こちらは江戸時代の百人一首。木版画の技術が普及するとひろく庶民に普及しましたが、こちらは手書です。当時高級品だったとおもわれます。


 こちらは女子教育のために、市立徳山女学校創立者が明治34年に作った歌かるたです。「しき嶋の大和心を人とはゝ朝日ににほふ山さくら花 本居宣長」など有名な和歌が書かれています。


 こちらは女性の心得を説いた作法百首。山口や下関で教鞭を取った吉田スマが昭和3年につくったものです。「上さらり中バッタリ下三寸 あけるもしめるもしとやかにせよ」「少女たちこまめに洗へ肌着類 化粧にまさり品もそなはる」など。


 こちらは昭和16年、隣組の仕組みをまなぶ隣組かるた。当時人気の雑誌「少女の友」の付録で、絵は人気作家松本かづち。「体育係」「配給券係」「回覧板係」「防火担当者」「廃品回収係」「貯金係」の読み札と絵が対になっています。

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