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イベント開催報告

何遠亭復元開館

(2015・6・23/更新7・1)
 


 6月22日、湯田温泉の井上公園内に、復元された何遠亭(かえんてい)が開館しました。


 何遠亭は幕末の半年間、三条実美が滞在した建物です。歴史についての詳しいことは当HPの、「幕末の舞台・三条実美の家・何遠亭」をご覧ください。


 復元された何遠亭は、総床面積が約59平方メートル。瓦は石州瓦。木材は山口市内産木材で、障子は徳地和紙。
 建物はぐるりと雨戸で閉めるかたちです。


 中は、6畳2間、縁側・トイレ付。地元のボランティアが常駐されています。
 入ってみると、意外と広い、というおもいです。床の間のある部屋に三条実美が座り、隣の部屋に訪問者が座り、いろいろと密談されたことと思います。

 以下配布チラシより。
『この建物は、山口県文書館にある「高田御殿住居差図」などの史料をもとに、何遠亭のおよその間取りを再現したものである。
 文久3年(1863)8月18日、七卿と長州藩を中心とした尊王攘夷派の勢力は、御所で起こった政変により京都を追われた。

  失脚した三条実美ら七卿は、長州藩へと身を投じ、まずは三田尻御茶屋(防府市)に滞在するが、間もなく一行のひとり、沢宣嘉が挙兵のために長州藩を離れた。その後、藩は残る六卿を山口へ迎えることとし、三条は湯田の草刈屋敷へ、他の五卿は大内御堀氷上にあった氷上山真光院へ移った。

  しかし、三条が起居した草刈屋敷は手狭で、他の五卿や随従員と会合するには不便であるなどの理由により、井上五郎三郎(井上馨の実兄)邸を借り上げることとし、大修繕をなし、新たに十二畳の部屋を増築。この増築した建物を「何遠亭」と名付けた。
 この名は、三条の秘書役、加藤有隣が、「何の遠きことかこれ有らん」という論語から撰定したものである。
 「遠くない日にきっと京都に戻れる。必ずその日が来るはずだ…。」

   三条らは、未来を信じ、新たな時代を夢見ながら、この場所で藩主をはじめ、長州藩および諸藩の有志家たちとともに、国事を論じた。そして、ある時は、憂国の思いを詩歌に表し、またある時は、酒を酌み交わした。
 何遠亭。ここは「明治維新」という歴史の転換点の重要な舞台となった、そんな場所なのである。』

 また、昭和11年に、県立博物館初代館長であり山口町長も務めた作間久吉が著した「山口史蹟概覧 : 皇政復古七十年記念(山口市役所発行)」には、当時すでに何遠亭は解体され、三条実美が揮毫した「何遠亭」も失われたことが記されています。

 「長藩来投の七卿中三条実美卿は早く湯田に来られ、初め草刈藤太方に奇寓せしも、何分手狭なるを以て井上次郎三郎の屋敷を借上げ、一室を新築して、卿の起臥に充つ。卿は随従の加藤有隣に命じ、名を選ばしむ。加藤、何の遠きことか之れ有らんとの経語を採り、何遠亭と名づく。卿、亭名を揮毫して扁額とす。地民は此の地の字により、高田御殿と称す。後年此の亭は解除せられ、扁額も所在を失ふ。今は井上侯誕生地と、七卿記念碑の地とを合し、高田公園と称す。」

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