イベント開催報告

HOME >> イベント開催報告

イベント開催報告

三文字屋跡碑・吉田稔麿止宿之地碑建立

(2017・10・21/更新11・1)
 


 10月21日、大殿大路の三文字屋跡の駐車場に、幕末の歴史を示す記念碑「三文字屋跡碑」「吉田稔麿止宿之地碑」が、三文字屋主人によって建立されました。


 説明版には下記の事が記されています。
 幕末の三文字屋については当HPの下記ページをご覧ください。
→「幕末の舞台/三文字屋跡」参照

三文字屋

 元禄元年、三文字屋は杉山甚右衛門が和紙問屋元締としての初代創業を成した。 近世の防長二州は日本一の造紙業を誇り、六代三文字屋大吉は自前の「三大之船」で 良質の紙を大量に浪速に移出し、長州和紙は 天下の相場をも左右した。
 此の間、天保十二年には萩城修繕に寄与する一方、宝歴元年の大坂米切手訴訟事件では、本藩と共に矢面に立った。また天保の混乱期には家財や荷物を龍福寺へ預けるなど、多難な局面にも遭遇し、幕末を迎えた。
 藩庁は山口に移り、三文字屋は政府人宿・客館、政務座御用所として、志士達が来訪・止宿した。特に、久保松太郎、吉田稔麿は屡々訪れ、国司信濃、玉木文之進、入江九一、白石正一郎、笠間藩士加藤櫻老、松田正人らも出入りした。
 明治四年には参議木戸孝允より「国難之節 隠然力を盡す處多し」として、三条実美公による報奨御品を賜った。而して三百年余年に亘りこの地にあった社屋は、昭和五十二年、十二代杉山義雄により緑町に移された。  (十三代主人)


吉田稔麿之碑

松陰門下の俊傑吉田稔麿は文久三年七月、三文字屋にて長州藩重役から士分昇格を伝えられた。最後の滞在は幕長間融和のため奔走中の元治元年四月で、此処で萩の両親に手紙を書いた。だが志を果たせぬまゝ同年六月五日、京で池田屋事件に遭遇し、二十四歳で没す。此の地には稔麿のような幕末の若者たちの数々の思いが籠っているのだろう。

萩博物館 一坂太郎

HOME | ↑ このページのトップに戻る |