イベント開催報告

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イベント開催報告

寺内正毅展(前期)

(2019・9・28/更新10・1)
 


 9月25日から11月11日まで、十朋亭維新館で、「寺内正毅展〜少年隊士から宰相への道」前期が開催されています。


 今年の11月3日に没後100年の命日を迎える、山口出身の総理大臣寺内正毅に関する企画展です。

 寺内正毅の実家の宇多田家は軽卒の階級(士分の下の武士奉公人)です。正毅の3代前が多賀社宮司高橋家より養子を迎えていますから、それなりに由緒のある家と思われます。

 養子の寺内家(母の実家)も軽卒の階級です。寺内家は陸奥国より師成親王に従い周防国に写り大内氏に仕えたといいます。嘉吉元年筑前国で戦死したり、天文20年鰐石川で戦死したりする先祖がいます。天文20年といえば陶晴賢の乱のときで、鰐石川とは市内の鰐石橋から上流のことだとおもいます。当時ここで合戦があったとわかります。寺内家はその後、毛利元就に仕えています。また、吉敷の大庄屋吉富家から養子を入れていますから、こちらも軽卒とはいえどもそれなりの家だったと思われます。。


 ここに展示されているのは山口県立大学と防長尚武館からの借用展示です。なかなか見る機会のない史料です。


 こちらは、有名な吉田松陰の肖像画を寺内正毅が模写させて賛を自ら書いたものです。


 寺内の、吉田松陰への信奉ぶりがわかります。


 後期は11月13日から12月27日までです。そちらもお楽しみに。


 こちらは寺内正毅による自画像。味わい深いです。


 併設の図書コーナーには、寺内関係の冊子が置いてありますので、勉強もできます。


 こちらは山口県立大学所蔵「安田之滞穂」というもので、山口明倫館教授岡田簀斎といわれ、寺内正毅が慶応三年秋に書き写したものです。世に言う慶応元年の「ぜんざい屋事件」についても書かれています。
「本田大内蔵(本多内蔵助・石蔵屋政右衛門)は武者小路の家来で、武者小路流の茶の湯の家元。若いときは放逸の日を送っていたが尊皇攘夷にめざめ、勤皇の志士と交わり、とくに三河国刈谷藩士松本奎堂に兄事した。松本は天誅組の旗揚げが失敗し自害する時に、遺言で短刀を本田に贈る。本田はいよいよ志をはげまし、大阪に住まいを移し、ぜんざい・もち・やきいもを売って時を待った。慶応元年一月八日朝、町役所より妻の母を呼びにき、また妻を呼びに来た。この頃本田の家に同志の二人が逗留していたが、一人が「定めて今役所よりわれらを取りに来るに違いない。われ一人でむかひ戦って討ち死にせん、両人はこの場をのがれ、命を全うし、年来の志を達しまえ」と。(後略)」
 このようなことが書かれています。
 最後のセリフを言ったのは土佐藩士大利鼎吉。武市半平太投獄後、長州に下り、忠勇隊に入りました。禁門の変にも加わり、敗北後、一旦長州へ下るもすぐに上方の事情を探るため上坂。本田大内蔵宅に潜みました。
 本田の家は、善哉煮を渡世とするも名目ばかりで仕込みもせず、同類三人を匿い形勢を窺う様子に、新撰組の谷三十郎・万太郎、門弟の高野十郎・正木直太郎に目をつけられ、慶応元年1月8日立ち込まれました。大利鼎吉は三人に傷を負わせるも斬り伏せられ、そのすきに本田らは逃げることができました。
 大利が前日詠んだ歌が「もとよりのかるき身なれと大君に心はかりはけふむくゆなり」。偶然これが辞世になりました。

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