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イベント開催報告

大内氏のトビラ

(2019・10・/更新11・1)
 


 10月12日から12月8日まで、山口市歴史民俗資料館で、大内氏遺跡指定60周年記念事業浴別展「大内氏のトビラ〜山口をつくった西国大名」が開催されています。


 大内氏の信仰・文化・支配・外交・合戦からその実態を探るとともに、脈々と受け継がれてきた大内氏の史料が紹介されています。


 これだけの規模の大内氏に関する企画展は久々です。


 始めに展示されているのは大内氏の系図です。系図は何種類も、内容の違うのがあります。今回は長門市の大寧寺の系図。


 それとこちらがこれまで見る機会のなかった、高野山の成慶院文書の「大内殿過去帳」。大内氏も檀家だったんですね。


 こちらは同じ高野山の成慶院文書の、石見国の吉見氏の檀過去帳。1595年まで檀家だったようです。

 こちらは乗福寺の「多々良氏付譜牒」。大内氏の祖先が着いたとき、北極星が松の木に降りてきて燈台の役割を果たしたという伝説から下松という地名になったと書かれてあります。なお、多々良氏は一族の姓で、大内氏はそのなかの一つの家です。だから大内氏が正式に名前を書くときはみな多々良政弘とか、多々良を名乗っています。


 これは、同じく乗福寺文書の「琳聖太子来朝記」。多々良氏の祖の琳聖太子は聖徳太子に会うために来たと記されています。


 乗福寺の滴水瓦。龍と鳳凰がデザインされている朝鮮式の瓦です。乗福寺は朝鮮の技術で建てられていたようで、異彩を放っています。


 そしてこれが目玉ともいえる、琳聖太子の宝剣。刀身は琳聖太子のもので、拵えは大内義隆が命じて造らせたものです。刀身には唐花文があります。


 拵えの柄には大内菱が。大内菱のもとは唐花文なのでしょうね。


 こちらは大内氏の氏寺の興隆寺にある北辰妙見図。なかなか見る機会がありません。北辰は北極星で、妙見は北極星を神格化したもの。大内氏は妙見信仰に篤かった氏です。

 こちらは興隆寺所蔵の木造扁額「氷上山」。文明18年(1486)に大内政弘がお願いして、後土御門天皇に「氷上山」と書いて頂いたものを彫ったものです。


 興隆寺の大内政弘法度条書です。興隆寺の僧及び興隆寺内で諸人が守るべき十二か条のルールが記されています。文明七年のものです。


 興隆寺への寄進状も展示されていました。


 これは大内氏にとって最も重要な祭り二月会に参加すべき領国の郡の名前。周防・長門・豊前・筑前(志摩・宗像以外)の名があります。


 これは大内義長がキリスト教布教を許した時の書状の写し。もっとも南蛮からの仏教の一派と思ってた可能性が大きいようです。


 大内氏は文化度がとびぬけて高く、こちらのコーナーでは和歌とか宗祇の坐像とか展示されています。


 短冊をまとめた冊子は期間中、どんどんめくられていきます。


 大内氏館で詠んだ和歌が含まれている老葉集。


 大内義興の時代の書状も展示されています。


 これは高麗版の般若経。外交で獲得したお経。500年前の。


 大内氏政弘が乗福寺に、甲冑を着た足利尊氏の掛軸を預けるというもの。掛軸が今に残っていたら大発見なのに残念。


 江戸時代、大内義隆の滅亡の話は様々な脚色をされてお話になりました。大内氏滅亡は有名な話だったようです。


 これは玄済寺に所蔵されている大内義興の位牌と、義興の念持仏と言われる毘沙門天立像。珍しい展示です。


 萩藩お抱え絵師の狩野派の大楽養厳作の大内氏歴代画像。毛利氏が大内氏の法要を営むときに描かせたもののようです。


企画展室には、巻物を広げる体験をしようというコーナーもあります。ぜひ中世の世界に浸って下さい。

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