イベント開催報告

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イベント開催報告

脱隊事件展

(2020・1・8/更新2・1)
 


 1月4日(土)から3月30日(月)まで、十朋亭維新館で、脱隊事件展が開催されています。
 料金大人(高校生以上)200円/小人(小中学生)100円


 明治の時代に少なからぬ影響を与えた長州藩の脱隊事件(脱隊騒動)から100年目を記念した企画展です。明治維新後、国の常備軍の選択からもれた山口藩の諸隊の隊士たちが、藩政府に対して行動を起こした脱隊事件をテーマとした企画展です。

 脱隊事件は明治2年秋から明治3年春にかけての事件です。常備軍への選抜にあたり、藩士で構成された干城隊からや、諸隊でも藩士が多い士官クラスが登用されたことにより、身分の低い農商出身や陪臣の隊士から不満が上がりました。それだけでなく、戊辰戦争の賞典の配分にあたりその決定権が諸隊の隊長にまかせられたことから、隊長への不信任が強い遊撃隊が隊長の弾劾を決議、その結果遊撃隊全員が常備軍の選抜から外されたことにより、不信が全諸隊に広がり、脱隊事件へと広がりました。

 毛利元徳は話し合いで解決しようとしましたが、木戸孝允が断固武力鎮圧の方針をとり、激しい戦へと発展しました。後日、西南戦争が勃発したときに木戸孝允は、薩摩藩は戊辰戦争で勝利した兵士の思い上がりを諌めることなくそのままにしていたからこうなった、その点長州では早いうちに諌めたから落ち着いていると言っています。


 今回の展示資料は山口大学に保存されている、小郡宰判の庄屋の本間家に残された古文書が展示されており、直接関係のないところでどのような関係が発生したかがわかります。


 事件当時、大村益次郎の墳墓が毀されたという噂が流れたそうです。また、武力行使の責任を取って山口藩知事毛利元徳が謹慎を表明したり、神社の祭礼を当面延期するよう布達があったことがわかります。


 この騒動の中心となった遊撃軍は幕末維新に奇兵隊に並ぶ活躍をしていましたがこの件で忘却された存在となっています。また各地で脱隊士が大勢処刑されたために語りづらい状況が今でも続いています。貴重な機会なので是非ご覧ください。


 企画展の終りには脱隊事件に深く関わった冨永有隣の書状が並んでいます。脱隊士たちが当局へ嘆願書を出すときに起草の適任者がいなかったので大楽源太郎の名が挙げられましたが、誰かが「大楽先生もよいが富永先生の方が一層よさそうだ」といいだし決まったそうで。深く関わった冨永は四国へ逃げて捕まったのが明治10年のことです。


 こちらは大楽源太郎の書状。大楽は塾生が多く参加したことから関係を疑われ、久留米まで逃亡、そこで久留米藩により惨殺されます。冨永は捕まった結果監獄に収容されますが明治17年釈放、その後は田布施町で塾を開き、国木田独歩の「富岡先生」のモデルとして今でも知られています。

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