イベント開催報告

HOME >> イベント開催報告

イベント開催報告

企画展「<汽車が速いのはよろしい>―中也の詩と乗り物」

(2020・6・25/更新7・1)
 


今回は大内文化特定地域を離れて、令和2年5月19日(火)〜令和2年11月15日(日)まで、中原中也記念館で開催される企画展「<汽車が速いのはよろしい>―中也の詩と乗り物」を紹介します。観覧料金は一般:330円 団体(20名以上):275円大学生・高等専門学校の学生:220円 団体(20名以上):165円18歳以下:無料 団体(20名以上):無料


 中也と乗り物をテーマに、鉄道、汽船、飛行機、自動車を紹介しています。


中也が生きていた昭和初期は、東京に日本初の地下鉄ができるなど、交通網が発達し、鉄道の高速化が進んだ時代でした。


 父・謙助が上京した明治初期は三田尻港から船で移動していましたが、中也が上京した大正末期になると、山陽本線を使って山口―東京間を移動するようになり、鉄道も高速化が進みます。「(とにもかくにも春である)」という未発表の詩の一節です。東京から下関に行く最終列車。列車での旅は今と比べ長く、非日常的な感覚が強かったと思えます。どこか重く感じ、乗客のそれぞれの思いがうかがえます。


 明治32年には食堂車が登場します。当時は、裕福な一等の乗客のみ利用できませんでしたが、明治39年になると一般庶民にも利用できるようになりました。中也も食堂車を利用していて、<先達は十五夜の晩 山陽線の食堂車でビールを飲んだ時はとても嬉しかったです>と友人・竹田鎌二郎に書簡を送っています。また、「夜汽車の食堂」という童話を残されています。これは宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」の影響を受け、客車ではなく食堂車を舞台に展開しています。


 中也は生まれてまもなく、中国の旅順に単身赴任していた父・謙助と暮らすため、母・フクに抱かれて門司から汽船に乗って大連に向かいました。その時の話を聞かされた内容が幼年時の原風景の一つとなり、中也の詩のモチーフの一つになりました。「一つの境涯」には、そのときのことが書かれています。<船の汽笛が鳴るたびに、火のつくやうに泣き出すのには閉口させられた>とあります。自身の生涯の門出を象徴するものとして、<船の汽笛>が印象的に描かれています。


 中也が生まれた3年後の明治43年、日本で初めて動力飛行機が空を飛びました。これを皮切りに飛行機開発が進められ、中也も中学生のときに山口ではじめて飛行機を見たといわれています。「逝く夏の歌」では、夏の終わりの澄んだ空気の中で、不思議なイメージの断片が次々と繰り出されます。そのなかでも、飛んでくる<飛行機>は、高さや深い奥行きを印象付け、<昨日私が昆蟲の涙を塗っておいた>という中也の独特な表現が、ひときわ鮮やかに浮かべあがってきます。


 中也が生きた昭和初期は、個人で自動車を所有する人はごくわずかで、自動車に乗る機会はバスやタクシーを利用する際に限られていました。中也が当時1円で乗れたタクシー<円タク>や、次男・愛雅の往診の際にお医者さんが乗ってきた小型自動車(ダットサン)などが紹介されています。今回の企画展名になっている「(嘗てはラムプを、とぼしてゐたものなんです)」です。未発表で題名がなく、始めの一文が題となっています。丁寧に書かれています。科学の進歩に嫌悪し、ストレートな表現で批判しています。汽車、汽船、飛行機は許されましたが、電車と自動車は許してもらえませんでした。日常的に聞こえるようになった騒音は、音に敏感な詩人には耳障りだったのでしょう。


文明の発展の中に生きた中原中也。中也がそれぞれの乗り物をどのように感じて、見て、利用してきたかが感じられる展示になっています。

HOME | ↑ このページのトップに戻る |