龍福寺(りゅうふくじ)

 大内義隆の菩提寺です。
 本堂は元は興隆寺の釈迦堂で、明治17年に移築されたものです。重要文化財。今年から素屋根をたてて修復が行われています。


 龍福寺の境内はさながら大内義隆についてのパビリオンです。ここに来れば義隆について多くのことを知ることができます。

 

龍福寺参道です。
正面に山門があります。
ここから見学するのがいちばんです。
大殿大路に面してます。

(大殿小学校近くの参道の入口にあります。
 明治28年5月鴻東尋常高等小学校(現大殿小学校)開校記念に一本の松が植えられ、翌年明治の元勲山県有朋がみえ、子供達が将来に向って大きく羽ばたき成長する事を願って「先駆ける」との意味から「さきがけの松」と命名揮毫され大殿地区の有志によって建立された由緒ある石碑です。
 当時鴻東尋常高等小学校は参道北側に隣接してありました。)



天文19年(1550)、フランシスコ・サビエルは大内義隆に謁し、布教の許可を得て大殿大路の井戸の傍で初めてキリスト教の布教をしたと言われています。
 この井戸はそれを再現したものです。龍福寺参道にあります。


 豊後岩とよばれている岩です。
 豊後国(いまの大分県に相当)より持ってきた岩で、雨の日には「豊後へいのう、豊後へいのう」と泣くという伝説付きの岩です。





 宝現霊社です。
 宝現霊社は大内氏の祖琳聖太子から31代の大内義隆に至る大内氏歴代の当主の神霊をまつる祀で、龍福寺の鎮守としてここに建立されています。
 この社殿は最初大内教弘が築山館に創建したのが始まりで敬神崇祖の念の篤い大内氏歴代の当主によって、その各忌日には祭祀がなされてきました。
 江戸時代には毛利氏により祭祀がなされていました。明治になって一時多々良社と称したこともあります。
 現在の社殿は今から250年余り前の江戸時代中頃の建築で、両側に大内氏の家紋大内菱が付いています。


 平成12年は龍福寺の開基大内義隆の450回大遠忌にあたりました。
 この勝縁にちなみ、大内義隆主従の供養塔が建立されました。
 この宝筐印塔は長門市大寧寺にあう大内義隆のお墓を原寸大に複製したものです。
 また左には、義隆にしたがって戦死した冷泉隆豊などの忠臣や公卿の諸精霊の供養のための十三重の塔が建立されています。


 この梵鐘は、大内義隆が享禄5年(1533)に九州葦屋の名工大江宣秀に作らせた国の重要文化財「興隆寺梵鐘」を縮小、複製したものです。
 平成5年春、完成後は毎日、一日三回大内文化の音を鳴らしています。


 大内義興公「馬上展望」像です。心像彫刻家 月形那比古によるものです。
 龍福寺資料館前に設置されています。

 「討つ人も討たるゝ人も諸ともに如露亦如電応作如是観」と彫られています。
 天文20年(1551)重臣陶晴賢の謀叛により大内義隆は大内氏館から長門の大寧寺に逃れました。
 このとき大寧寺住職異雪慶殊(いせつけいじゅ)和尚の弟子となり、金剛経の経文を引用した上記の辞世をよんで自刃したといわれています。享年45才。
 意味は、敵も味方も人の命は露のようにまた稲妻のようにはかないという仏教の無常観をうたったものです。


 龍福寺資料館内部です。
 龍福寺の寺宝を中心に展示されています。
 書状や境内から発掘されたもの、関係資料などが展示されています。


 龍福寺資料館です。
 開館時間は午前9時から午後5時まで。
 入館料は一般が200円、小中学生が150円です。


 龍福寺資料館内部です。
 大内義隆と、毛利元就・隆元親子の対面の場面の想像再現場面です。
 天文18年(1549)4月のことです。
 

 龍福寺資料館内部です。
 複製ですがさまざまな掛軸も展示されています。