大内文化について

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大内氏年表

西暦 和暦 大内氏・大内文化(社会)
1353 文和2/正平8 弘世、このころ周防国平定
1360 延文5/正平15 弘世が山口に本拠地を移したと伝えられている(山口古図)
1364 貞和3/正平19 豊前で厚東氏らに大敗/弘世、初めて上洛し、将軍に謁す(太平記)。
1369 応安2/正平24 山口に京都から祗園社を勧請する
(倭寇、明の沿岸部を荒らす)
1371 応安4/建徳2 義弘、貞世に従い九州へ
(九州探題今川貞世西国平定のため九州下向)
1373 応安6/文中2 明使趙秩ら、山口に滞在し「山口十境の詩」をつくる
1389 康応1/元中6 義弘、三田尻で将軍義満を歓待後、随伴して上京、滞在(応永5年まで?)
(義満、安芸厳島神社参詣 )
1391 明徳2/元中8 義弘、山名氏清の反乱鎮圧に功績、のち紀伊・和泉国守護に任ぜられる
(明徳の乱)
1395 応永2  義弘出家/大内氏が朝鮮へ交易船をおくる
(義満出家/今川貞世召還)
1399 応永6 〔朝鮮交易〕義弘、朝鮮に百済後裔主張し、土地割譲求める/義弘、堺で幕府と戦い敗死(菩提寺香積寺)。弘茂、幕府に降伏、周防・長門国守護に
(応永の乱)
1400 応永7 盛見、義弘のあとを継ぎ、幕府に対抗するも、弘茂ら幕府軍に攻められ、九州へ逃れる  
1431 永享3 宇佐神宮造営完成/盛見、少弐・大友氏との戦で戦死。菩提寺国清寺  
1432 永享4 持世と持盛、後継を争う。 
(日明国交回復、遣明船渡航)
1441 嘉吉1 持世、嘉吉の乱で赤松満祐に襲われ重傷、死去。菩提寺澄清寺
(嘉吉の乱、義教殺される/嘉吉の土一揆)
1442 嘉吉2 香積寺五重塔(現瑠璃光寺五重塔)建立  
1451 宝徳3  〔朝鮮交易〕/遣明船に参加
(遣明船渡航)
1453 享徳2 〔朝鮮交易〕教弘、琳聖太子「日本入国記」を朝鮮に求める/朝鮮、通信符を教弘におくる(勘合貿易)  
1461 寛正2 このころ雪舟が山口に来る  
1465 寛正6 〔朝鮮交易〕教弘、陣中で病死。菩提寺闢雲寺/遣明船に参加、雪舟渡明へ (遣明船渡航)
1467 応仁1 政弘、大軍を率いて上洛、西軍に加わる/大内氏ら西軍、武田基綱を攻め、醍醐寺三宝院を焼く/少弐教頼・宗盛貞、筑前に入り、大内方と戦うが敗死
(応仁の乱)
1474 文明6  政弘、能阿弥より「君台観左右帳記」贈られる  
1477 文明9 〔朝鮮交易〕政弘、帰国/義興生まれる 応仁の乱終結
1480 文明12 連歌師宗祗、山口に来る
(一条兼良、「樵談治要」を義尚に贈る)
1486 文明18 政弘、後土御門天皇より「氷上山」の勅額賜る/故教弘に従三位贈られる
(雪舟「山水長巻」描く)
1489 延徳1 宗祗、山口を訪れる「伊勢物語山口抄」/飛鳥井栄雅より蹴鞠条々贈られる
(義尚死去/銀閣上棟)
1495 明応4 連歌師猪苗代兼載、山口を訪れる/政弘死去、菩提寺法泉寺
(宗祗ら「新撰莵玖波集」編む)
1500 明応9 前将軍義材(義稙)を山口・神光寺に迎える
(幕府、最初の撰銭令)
1507 永正4 義興、前将軍義材(義稙)を奉じて上洛  
1509 永正6 有職故実を記した大内問答成立  
1516 永正13 〔朝鮮交易、二回〕義興、日明貿易を独占する/連歌師宗碩、山口を訪れる  
1518 永正15 義興、帰国する  
1519 永正16 伊勢神宮を勧請。高嶺に伊勢神宮内宮・翌年外宮建立  
1523 大永3 遣明船渡航/安芸国東西条の鏡山城、尼子経久に攻められ落城
(義稙死去/寧波の乱)
1528 享禄1 義興死去、菩提寺凌雲寺  
1536 天文5 義隆、太宰大弐に任じられ、昇殿を許される
(天文法華の乱)
1539 天文8 大内版「聚分韻略」刊行/遣明船独占
(遣明船渡航)
1543 天文12 尼子氏に大敗。撤退中、大内晴持死去
(ポルトガル人、鉄砲を伝える)
1547 天文16 最後の遣明船派遣(大内氏独占)、正使策彦周良
(武田信玄、家法定める)
1550 天文19 策彦周良帰国。山口滞在/ザビエル山口で義隆に謁見
1551 天文20 ザビエル、山口で布教/陶晴賢謀反。義隆自害(菩提寺龍福寺)
1552 天文21 大友義鎮の弟晴英、大内義長と名を改め、家督を継ぐ/防長両国大飢饉
1555 弘治1 厳島の戦い:元就、陶晴賢を滅ぼす 
1557 弘治3 義長、長福寺にて自刃/大内氏残党、義隆遺子亀鶴を奉じて挙兵するも討滅する/毛利氏が周防長門を支配下におく  
1569 永禄12 大友氏の援助をうけ大内輝弘が山口を占拠。のち自害する
(信長、ルイス=フロイスの宣教を許す)
1573 天正1   (室町幕府滅びる)

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