大内文化コラム

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●そてつ〜大内氏が都人に紹介した植物

 

 京都相国寺鹿苑院蔭涼軒主の公用日記「蔭涼軒日録」(「山口県史 史料編 中世1」平成8年刊より)を読むと、長享2年の条に、大内氏がソテツを献上する話が出てきます。

 長享2年(1488)といえば、将軍は足利義尚。大内政弘は健在。後継の義興はこの年義尚より「義興」の二字を与えられています。

 その年の9月16日、大内氏の雑掌である興文首座が来ていうには、大内氏の庭にソテツという草がある。高麗よりきたものである。株より葉が出、その葉は一間ほども茂る。センマイを大きくしたようなものである。もし公方様の庭に植えるのであればさし上げましょう。

 くだくだとソテツについて書きとめているところをみると、京都の人である蔭涼軒主はソテツを知らなかったようです。もしかしてソテツについて文献上もっとも古い記述かもしれません。

 ソテツは九州南部以南に分布します。都井岬ソテツ自生地(宮崎県串間市)、鹿児島県のソテツ自生地(鹿児島県指宿市,南さつま市坊津町、肝属郡南大隅町・肝付町)が自生北限地として国の天然記念物に指定されています。

 国指定天然記念物のソテツは10件あります。常神のソテツ(福井県三方町)、新町の大ソテツ(静岡県河津町)、能満寺のソテツ(静岡県島田市)、龍華寺のソテツ(静岡県静岡市)、妙国寺のソテツ(大阪府堺市)、日御碕の大ソテツ(島根県出雲市)、誓願寺のソテツ(香川県池田町)、広沢寺のソテツ(佐賀県唐津市)、大野下の大ソテツ(熊本県岱明町)、松屋寺のソテツ(大分県日出町)がそれです。

 このうちもっとも有名なのは妙国寺のソテツでしょうか。織田信長が安土城に移したところ、毎夜「堺に帰りたい」と泣くので、怒った信長が刀で切りつけたところ、ソテツから血が噴き出でたため、堺へ返されたという伝説があります。

 安部晴明が中国から持ち帰ったという能満寺のソテツにも似た伝説があります。徳川家康が駿府城に移したところ、毎夜「寺に帰りたい」と泣くので、寺へ返したといいます。

 織田信長、徳川家康とくればあとは豊臣秀吉。広沢寺のソテツは、加藤清正が文禄の役のときに朝鮮から持ち帰り、秀吉に献上され、秀吉が手植したといいます。

 また松屋寺のソテツは、大友宗麟が南方から取寄せ、のち日出藩主が府内城からこの松尾寺に移したといいます。

 ソテツは戦国武将の歴史を彩る植物のようです。それは大内氏よりはじまるといっていいでしょう。

 

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