大内文化コラム

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●室町時代の書を読む(5)閑吟抄〜室町時代の流行歌

 

       新訂閑吟抄 浅野建二校注 岩波文庫 1989年

 歌は世につれ、世は歌につれといいます。この本には室町時代の流行歌が収められています。当時の世相を表す資料としてよく使われます。

 作者は不明。富士山を遠望する草庵にすむ人が、むかしを思い出すままに書き記したものです。成立は永正15年(1518)。成立時より半世紀ないし1世紀以前からの歌も収録されていると推測されています。

 永正15年といえば、大内義興が10年間の京都での幕府の補佐仕事を辞めて、山口に戻った年です。その半世紀前といえば大内政弘が応仁の乱で京都で活躍しているときです。1世紀前は大内盛見が京都で幕府を補佐している頃です。

 大内氏が活躍した時代に世間で歌われていた歌を集めたとなると、京都で大内氏や配下のものがこの歌をうたったかもしれません。そうおもうと親近感が湧いてきませんか。

 「面白の花の都や 筆で書くとも及ばじ 東には祇園・清水 落ち来る滝の音羽の嵐に 地主の桜は散り散り 西は法輪・嵯峨の御寺 廻らば廻れ水車の(輪の)臨川堰の川波 川柳は水に揉まるる 脹ら雀は竹に揉まるる 都の牛は車に揉まるる 野辺の薄は風に揉まるる 茶臼は挽木に揉まるる げにまこと忘れたりとよ 小切子は放下に揉まるる 小切子の二つの竹の 世々を重ねて うち治めたる御代かな」

 この歌は中世の芸能者の謡い物だそうです。前半は京都の名所尽くしです。

 山口からでてきた侍はこういう歌をおぼえて京都を知っていったのではないでしょうか。

 または山口でこの歌をうたって京への憧れをかきたてられたのかもしれません。

 閑吟抄のなかでいちばん有名なのが、

 「何せうぞ くすんで一期は夢よ ただ狂へ」

 「何になろう、まじめくさってみたところで。所詮、人生は夢よ。ただ面白、おかしく遊び暮らせ」と現代語訳されてます。当時の世相の心理を代表する歌とよく紹介されています。

 しかしこの閑吟抄にはこういう哲学的な歌は少なく、大半は恋の歌です。このへんは和歌にみられるように古来からの日本人の伝統にのっとってます。

 「花の都の経緯(たてぬき)に 知らぬ道をも問へば迷はず 恋路など 通ひ馴れても迷ふらん」

 閑吟抄には311首収められてありますが、そのうち231首が小歌で、大半を占めてます。小歌は室町時代後期の流行歌謡様式で、基本的には四句形式の75・75調が特徴のようです。

 「よしや頼まじ 行く水の 早くも変る人の心」

 ついで多いのが能楽からの歌で、いわば人気ミュージカルの挿入歌がよく歌われたということでしょうか。

 「都は人目つつましや もしもそれかと夕まぐれ 月もろともに出でてゆく 月もろともに出でてゆく 雲居百敷や 大内山の山守も かかる憂き身はよも咎めじ 木隠れてよしなや 鳥羽の恋塚秋の山 月の桂の河瀬舟 漕ぎ行く人は誰やらん 漕ぎ行く人は誰やらん」

 これはいまでも人気のある能番組「卒塔婆小町(観阿弥作)」のなかの一節です。

 ほかに目立つのは面白い言葉でしょうか。

「世間はちろりに過ぐる ちろりちろり」

「あら美しの塗壺笠や これこそ河内陣土産 えいとろえいと えいとろえとな 湯口が割れた 心得て踏まい中踏鞴 えいとろえいと えいとろえいな」

「忍ぶ軒端に 瓢箪は植ゑてな 置いてな 這はせて生らすな 心の連れて ひょひょらひょ ひょめくに」

「ただ人には 馴れまじものぢゃ 馴れての後に 離るるるるるるるるが 大事ぢゃるもの」

 離「るるるるるるるる」は入力ミスではありません。「離るる」を強調するために「る」を重ねたものです。

 「ちろり」「えいとろえいと」「ひょひょらひょ」は流行言葉にあたるのかもしれません。

 閑吟抄を開いて、言葉を舌にのせて、ゆっくりと吟ずると、室町時代を体感できるような気がします。

 

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