大内文化について

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大内氏概略

第1回 興隆寺梵鐘

国指定重要文化財
興隆寺の梵鐘 工芸品 
昭和三四年一二月一八日国指定
所在地 山口市大字大内御堀四三一番地

この梵鐘は室町時代周防長門など七か国の守護であった大内義隆が享禄五年(一五二三)に大内氏の氏寺興隆寺に寄進したものである。総高が一八九センチ、口径が一一一.八センチの巨鐘で、朝鮮鐘の影響を多く受け、乳の間四区の間に四天王、草の間に雲竜文様を鋳出すなど、随所に装飾がにぎやかにつき、大内文化を代表する工芸品である。 銘文から筑前葦屋(福岡県遠賀郡芦屋町)の大江宣秀の作であることがわかる。

興隆寺は大内氏の氏寺で、大内氏全盛の時は非常に栄えたが、大内氏滅亡後は衰え、明治になり堂塔もなくなった。(説明案内板より)


乳の間

制作当時は近畿以西で最大の大きさだったのではないかといわれている梵鐘です。

日本の鐘にはこのような模様はなく、すっきりとした線があるだけですが、この鐘は朝鮮文化の影響で、四天王の姿や雲竜文様の模様が入っており、大内文化ならではの京都文化と大陸文化の融合を示しています。


雲龍模様

また大江宣秀は、ほかに琉球国の梵鐘も制作しており、大内氏と琉球との交流の一端をしめすものとして知られています。

大内氏は、大きな鐘を作って、大陸や琉球まで鐘の音の響きを届かせようとしたのかもしれません。


趙秩が詠んだ山口十境詩の一つ、 「氷上滌暑」の碑が傍にあります。

堂全体像

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