大内文化について

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大内氏概略

第9回 大内政弘墓

「大内政弘の墓
     50m登る
大内政弘は大内氏二九代の武将で、文安三年(一四四六)に築山館を建てた教弘の長男として生まれました。
応仁元年(一四六七)に始まった応仁の乱では、山名宗全に味方して大兵を率いて上京し、西軍の将として戦っています。戦乱で京都は焼野原になり多くの文化人が政弘を頼って山口を訪ずれるようになりました。
政弘は京でも武将として名を上げた半面、芸術文化にも大変な関心を示しています。京都に在陣の頃から和歌や連歌の道に親しみ、帰国後も宗祇を山口に招いて、築山館で連歌の会をたびたび催しています。家臣達もたしなみ、山口は文化都市として大いに栄えました。また、画僧雪舟も政弘の保護の下で技術を磨き、わが国の水墨画を完成させています。
明応四年(一四九五)九月、病により五〇歳で他界。菩提寺は法泉寺。当時の連歌師猪苗代兼載は政弘の墓に詣でて次のような歌を詠んでいます。
   いたづらに吹くぞかなしきなき人も
     かへらぬ野辺の葛のうら風
(説明案内板より)」

 山口大神宮の前の道をのぼって、県庁のわきを抜け、五十鈴ダムをすぎると右手に公園めいた場所があります。そこに看板がたっており、山道をのぼること一分で墓がみえます。
 かつてはここに法泉寺がありました。政弘の菩提寺です。
 墓は木立に囲まれたなかで静かに佇んでいます。


墓へいたる道

大きな木の根本に墓はあります。

時の流れを感じる風情です

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