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大内氏概略

第10回 大内義長裁許状碑

「 大内義長の裁許状
大内義隆の庇護のもとに山口においてキリスト教の布教に当たつていたフランシスコ、サビエルは一五五一年後事を弟子のトルレスらに託して九州に渡つた。その後山口では陶晴賢の乱が起り義隆は討死した。晴賢は大内氏の後つぎとして九州の大友義鎮の弟、義長を迎えて大内氏をつがした。義長は九州でサビエルに会つていたので一五五二年山口に来ると早速トルレスに教会建立許可の裁許状を与えた。これにより山口に日本最初のキリスト教会が建立されたのであつた。
 その裁許状は当時写してヨーロッパに送られたが、それが一五七四年のケルン版ラテン語「東洋イエズス会書簡集」に掲載されている。
 この碑はその本から複製したものである。」
 ※併設看板より

 この碑はサビエル教会を正面にみる亀山の中腹に建っています。
 残念ながらいずれも日本側には資料が残されていませんが、大内義長の「大道寺裁許状」はイエズス会側に残されていました。
 イエズス会の僧侶が日本からゴアへ戻った際に写しを持ち帰り、それをポルトガルに送ったもので、その際に、漢文の行間にポルトガル語訳が記載されました。
 のち、この文書はあちこちの出版物に印刷され、紹介されました。あたかもこの書が、日本に宣教の扉が永遠に開かれたというふうに。ヨーロッパでは大内氏と山口の町が広く知られていたこととおもいます。

 参照資料:「九州史学 第135号」(九州史学研究会 2003/2)所収「『大道寺裁許状』とイエズス会史料の比較研究」(デ・ルカ・レンゾ)


書状の石碑

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