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大内氏概略

第12回 史跡大内氏館跡 池泉庭園

 将来、大内氏の庭好き、といわれるようになるかもしれません。平成23年8月22日、大内氏の庭がまたひとつ甦りました。「史跡大内氏館跡 池泉庭園」といいます。その庭をさっそく紹介します。24時間無料で見学できますので、興味をもたれたらぜひご覧ください。
※画面にみえる檜皮葺の屋根が、龍福寺本堂です。その奥の山は鴻峰です。

 池泉(ちせん)
中島のあるひょうたんのような形をした池で、大きさは南北約40m、東西約20mあります。池の縁には護岸(ごがん)のための石が並べられた部分があります。水は土塁上から池へとつながる水路から引き込み、南西側に排水したものと考えられます。西側の護岸が直線的であることから、この付近に池をながめる建物があったと考えられます。この池は1400年代末につくられ、1500年代中頃まで使われました。【説明板より】

 館跡南東部(やかたあとなんどうぶ)の調査成果(ちょうさせいか)
ここ、館跡の南東部では、屋敷地の東を区画する溝や堀、大きな池をもつ庭園が見つかりました。
溝や堀は、時期の異なるものが複数確認されています。これは、大内氏館が何度かの改修を受けたことを示すものです。
大きな池をもつ庭園は、1400年代末につくられ、大内氏が滅亡する1500年代中頃まで使われたと考えられます。池の北には、台所(かまど)や蔵(■〔土+專〕列建物)があることとから、池より北は庭園(ハレ)とは性格の異なるケの空間であったことがわかります。【説明板より】


 池泉を回遊する小道です。進むと早速井戸があります。

 池泉庭園の龍福寺山門寄りの角です。右手に小道が始まります。

石組井戸(いしぐみいど)
石を組んでつくられた井戸で、内法(うちのり)の直径は約1.2m、深さは約4mあります。この井戸は池泉庭園と同時期につくられ、1500年代前半に埋め戻されました。この井戸からは、外面に金箔(きんぱく)をはった土師器皿(はじきさら)が3枚出土しました。【説明板より】


 角に建物跡が。ここからも池を眺めたといわれます。その画像は一番上のを参照。

 南北に長い池泉の南側です。小道からの眺め。

 水は池泉庭園の柵外から引き込まれています。

 小道に橋が。下は池の水を引き込んでいる流れです。

 池に流れ込んでいきます。水の先にはハスの群落。

 常時、水が橋をくぐっています。橋からの眺めも良いです。

 池泉の北側。護岸の石組は室町時代からのものです。   

 小道の途中にソテツが植えられています。大内氏が京都に紹介した植物です。

 池泉の隣には史跡が二つ、保存されています。

 北側からの眺めはこんな感じです。中島が遠いです。

 石組(いしぐみ)かまど
池泉庭園と同時期につくられたかまどで、東側から薪(まき)などの燃料をくべるつくりになっています。U字形に石を組んだ燃焼部(ねんしょうぶ)が2つあり、北側のものは南北約0.8m、東西約1.2m、南側のものは南北約1m、東西約1.3mの大きさがあります。かまど周辺からは調理具などの日用雑記(にちようざっき)が多く見つかったことから、この場所は台所と考えられます。【説明板より】

 ■〔土+專〕列建物(せんれつたてもの)
池泉庭園と同時期につくられた建物で、地面には■〔土+專〕を埋め込んでいます。■〔土+專〕とは焼成した煉瓦のことで、この建物には、縦約30p、横約30p、厚さ約2pの?が使われています。建物の大きさは南北長約4.6m、東西幅は建物がさらに西に広がるため不明です。中世の遺跡で検出される■〔土+專〕列建物の多くは蔵であることから、この建物も大内氏館につくられた蔵の一つと考えられます。【説明板より】


 眺める建物の反対側。あの建物は木々に囲まれた静かな場所だったのでしょう。

 この池泉のさらに向こう側からも最近庭跡が発掘されました。

 ここから排水されています。石組井戸がみえますね。

 最初に紹介した山門寄りの角に排水口があります。

 赤い服の人が立っている場所が中島です。5年経って現在の姿になるとは、感慨深いです。

 最後に、5年前に行われた、庭の発掘の現地説明会の様子です。

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