大内文化の遺産

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山口を本拠とした大内氏
 

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トップ山口と大内氏>大内氏略年表(29〜32代)

大内氏年表29〜32代 系図はこちら  

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29代政弘(まさひろ) 雪景色の雪舟庭1467年、応仁・文明の乱(山名氏と細川氏の権力争い)で西軍山名方の主力として出陣し、11年間転戦する。この間、伯父教幸の謀反や少弐氏の抵抗にあうが、鎮圧する。
◆法令集である「大内氏掟書(壁書)」の条文が多数発布され、大内氏の領国支配体制が急速に整えられる。

30代義興(よしおき) 義興図流浪の身であった足利義稙[よしたね]を将軍に復職させた功績で、山城国の守護に任じられ、周防・長門・豊前・筑前・安芸・石見国と合わせて7カ国の守護となるとともに、管領代として11年間京都にあり、一時期ではあるが幕府の実権を握る。
管領代の職を辞し、山口へ帰った後、尼子氏と安芸国で戦う。

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31代義隆(よしたか) 義隆図周防・長門・豊前・筑前・安芸・備後・石見7カ国の守護に任じられ、少弐氏を討ち肥前・筑前を平定するが、出雲国の尼子氏攻略に失敗する。
敗戦後、ほとんど武事を顧みず、文化の生活にふけったので、山口は平安を保ち、当代最高の公家、文人墨客が来訪滞在し、文化都市として繁栄する。
◆対明貿易(遣明船)を独占する。

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32代義長(よしなが) 1555年、厳島合戦で後見の陶晴賢[すえはるかた]が毛利軍に敗れる。
1557年、高嶺に城を築き毛利軍の侵攻に備えたが、間もなく城を離れ、敗走の末、自刃する 。