久保小路 〜下竪小路の南端から一の坂川に向かう道〜

「久保」とは、当時、一の坂川は氾濫が繰り返されたため、竪小路側から緩やかに傾斜しており、地形が窪み、低くなっていることから名づけられたといわれています。

大内時代には、北側には法界寺があり、ここ一帯はお寺の敷地であったと思われます。そのため久保小路は門前町に近い状態だったのではないでしょうか。 1700年代中頃の記録には、家屋数35軒で田畑は無しとなっています。

現在は、この通りの左側は、古きよき時代の飲食店街の面影を残し、また右側は新築の住宅街が並び、対照的な趣を見せています。

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