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■  料亭祇園菜香亭跡地発掘説明会

11月4日、料亭祇園菜香亭の跡地で、山口市教育委員会文化財保護課による発掘説明会(大内氏遺跡築山跡第8次調査現地説明会)が開かれ、市民など110人が参加して説明に聞き入っていました。

今回の説明会では、築山小路にそって築山館の周囲に巡らされていたとおもわれる堀が出てきたこと、それに平行して北側に小規模な溝が数条あったこと、料亭の井戸があったあたりから築山館の付属建物とおもわれる柱跡がでてきたこと。出土品は大内政弘・義興の時代の15世紀後半のものにかぎられ、菜香亭が開かれた明治10年までのあいだの出土品は出てきていないことなどが説明されました。  

以下、「大内氏遺跡築山跡第8次調査現地説明会」配布資料より

【築山跡とは】

築山跡は、大内教弘の頃に、別邸として館跡の北側に築造された築山屋形の跡です。大内政弘の頃には、連歌師宗祇が「池ハうみ、木すゑはなつのミ山かな」という発句を詠んでおり、このことから築山屋形には大規模な庭があったと考えられています。その後、近世の記録『大内家故実類書』22にも「築山泉水の水の手の事」や「四方竹柳之事」の記述が見られます。これによると天明2・3年(1782・1783年)頃に、四方に存在した竹柳の一部を切り払い、その土をもって池などを埋め、畠として使ったとされています。また、竪小路沿いには現在も築地跡と呼ばれる高まりが残っています。

【これまでの調査から】

八坂神社境内を対象に、昭和52年〜平成元年度に計6回、約1,000uについて発掘調査を実施しました。この調査では若干の中世遺構を検出しましたが、宗祇の句に詠まれた庭や、屋形となるような大規模な建物跡は発見されませんでした。

【8次調査の内容】

史跡築山跡の南東隅にあたる「菜香亭」敷地について、平成17年度〜21年度までの予定で、発掘調査を進める計画です。本格調査の初年度となる今回の調査は、庭園と屋形の範囲を確認をすることを目的に、南寄りの箇所を調査しました。

その結果、庭園は発見されませんでしたが、調査区の南で外郭施設と考えられる堀を確認しました。その規模は幅3m以上、深さ約1m、長さ20m以上で、方向は現在の道路(通称:築山小路)にほぼ平行しています。また、その北側には堀に平行した小規模な溝が数条あり、溝に囲まれた建物を復元することができました。これらは、出土した土器から15世紀後葉〜16世紀初頭のものと考えられ、大内氏統治下のものです。建物は小規模な柱を用いているため、屋形の本体ではなく付属建物と考えられます。

これより後の時期の建物跡は、近代以降のものしか確認できません。近世中頃の絵図である「地下上申絵図」には、この位置に竹薮の記述が見られます。このことから明治10年に菜香亭が営業を始めるまで、この地点は近世を通じて藪や畠などであった可能性が高いと考えられます。また、「地下上申絵図」「行程記」の両方に、築山小路の位置に道が描かれており、これは現在の道路とほぼ一致すると見てよいでしょう。菜香亭の建物も築山小路に沿っており、近世には一旦、建物敷地としての利用は途絶えるものの、中世以来現代に至るまで、この道の方向を意識した敷地利用が踏襲されたことがわかります。

発掘された堀(一部のみ発掘しているため、このような穴のようになっています)に入って、深さを説明する文化財保護課職員

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