「大内文化まちづくり」の基本理念

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龍福寺本堂見学

■  史跡大内氏館跡第31次調査現地説明会

12月9日(土)午後1時より、史跡大内氏館跡東南部で発掘調査が行われていた池泉庭園に関する現地説明会が行われました。今後、史跡整備が行われるため、この状態で見学できるのはこれが最後の機会でした。説明会当日は85名の参加者がありました。

この池は大内義興の頃に作られたものです。古い堀をつぶして、館の敷地を拡大して作られました。前将軍足利義稙が下向した際、もてなすために作ったものと推測されます。池につながる水路は東側に一個所、ここから水を入れていたものと考えられます。

常栄寺庭園などいまに残っている庭園は現在までに何回も手を加えられていますが、この池は大内氏滅亡のときから使われなくなっており、当時の様式がそのままわかる学術上重要なものです。

以下は、当日の配付資料「史跡大内氏館跡第31次調査現地説明会資料」より。

『平成4〜6(1992〜4)年の第13・14次調査の際、史跡指定地の南東部で池泉庭園(庭園2)がみつかり、第31次調査での再発掘や、周辺地区の調査が行われています。

その結果、15世紀末〜16世紀はじめ(義興の頃に)作庭され、16世紀前半から中頃(義隆の頃)にかけて2度にわたる改修が加えられた後、大内氏が滅亡する16世紀後半頃には使われなくなったようです。  平成19(2007)年度からは、池泉庭園付近の史跡整備に着手し、当時の姿を復元する予定です。』

『 大内氏館跡には、このほかにも少なくとも2つの庭園があったことがわかっています。最も古い庭園1は龍福寺本堂の南東部で発見された池泉庭園で、15世紀後半(政弘の頃)につくられ、庭園2をつくる際に埋められたようです。部分的な調査のため、全体の規模や構造はわかっていません。

また、史跡指定地北西部でみつかった庭園3は枯山水庭園で、16世紀前半(義隆の頃)につくられ、16世紀中頃に火災によって失われていました。発掘調査の成果をもとに、平成18(2006)年春に復元整備・公開しております。』

『大内氏とその館 山口を拠点として、守護大名から戦国大名へと成長した大内氏は、強大な軍事力を背景に領国経営を行いました。その一方、京文化や唐物に強い関心を抱くとともに、明や朝鮮との対外交流を積極的に推し進め、「大内文化」と呼ばれる独自の文化を築きました。画僧 雪舟やサビエルも大内氏の庇護を受け、連歌師の宗祇も山口を訪れました。

大内義隆(1507〜51)の時に最盛期を迎えますが、家臣の陶隆房の謀反によって大内氏の正統は絶えることになります。

1555年、厳島の戦で陶隆房を討った毛利氏は山口に入府し、大内義隆の菩提をとむらうため、白石にあった龍福寺を大内氏の館跡に移転させました。』

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