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修復作業の様子

■ 平成18年(2006年)10月〜平成19年(2007年)5月の作業

作業
◎屋根廻り解体
 桟瓦葺き(大棟瓦積み・鬼瓦)の解体
 平瓦の解体
 内部縁まわりの解体
 小屋組の解体
◎解体前の実測・仕様調査
 本堂内部の建具と造作の解体調査
 屋根廻り、棟木、母家、妻廻りの解体と調査
 解体中の実測及び仕様・痕跡等を調査
 興隆寺釈迦堂時の内部を復原考察
 解体した部材に残る墨書調査(旧興隆寺釈迦堂時のもの、明治移築時のもの)
 大工道具の工具痕跡調査

■ 平成18年(2006年)9月12日



 9月から瓦の取り外し作業が行われ始めました。今後は、徐々に瓦の下が見えてきます。



 素屋根の内側にもやぐらを組んでます。



 赤い糸は瓦を外すためのものです。

■ 平成18年(2006年)9月29日



 鬼瓦が外されてます。
 端の瓦から取り外していくんですね。



 冠瓦がなくなっています。



 正面からみるとこんな感じです。

■ 平成18年(2006年)10月7日



 瓦が半分なくなってます。


 瓦の下の土居葺(どいぶき)が見えます。片方の屋根の瓦を上から4分の1まで除くと、もう反対側の屋根の瓦を同じく上から4分の1のところまで除きと、そういうふうにバランスに気を使いながら作業が行われます。



 瓦を外したあとは、こんな感じです。

■ 平成18年(2006年)10月17日



 瓦も残り少なくなってきました。



 側面の瓦がなくなっています。土居葺姿の屋根はこんな感じです。着物を脱いで、襦袢姿になったような感じです。

■ 平成18年(2006年)11月7日


 正面の屋根は、瓦も、野地板(のぢいた)も、土居葺(どいぶき)も、取り外されました。
 野垂木(のだるき=縦にのっている木)と、母屋(野垂木の下に横に架けられている木)が剥き出しで見えます。



 こういう構造になっていたんだと興味が湧く光景です。


 側面の屋根に残されているのが土居葺で、瓦の下に隠されていた姿です。また正面の屋根の端に残されているのは野地板です。土居葺の下にあるもので、これを剥がせば野垂木が姿を表します。これらは見学者に屋根の構造を知っていただくために残されています。
 ちょうどいまは屋根の構造が分かる滅多にない機会です。


 右画像は野垂木をクローズアップしたものです。
 白いチョークで丸囲みされているのは、今回の解体時に釘を抜いた場所です。遊んでいる釘はこの印はつけられていません。これらは本堂の時代による変遷を明らかにするための資料となります。


 右画像は2階の見学用ブースに飾られているものです。
 屋根の西北隅に取り付いていた鬼瓦で、大内菱があります。間近でみられる珍しい機会です。

■ 平成18年(2006年)11月28日



 本堂の屋根では野垂木(のだるき)が解体中。左画像で、縦に置かれている木材がそれです。



 瓦屋根の下はこういう構造だったんだと、感動します。 



 側面の屋根。多くの木が瓦を支えていたということがわかります。

■ 平成18年(2006年)12月2日



 本堂内部では内部造作や土壁、建具を取り外す作業が行われていました。



 柱上の土壁を解体したところです。



 時代ごとに柱に施された加工がはっきりとわかります。



 建物は柱で支えられていると実感できる風景です。



 瓦は本堂のすぐわきに保管されています

■ 平成18年(2006年)12月6日



 瓦・野地板・土居葺・野垂木が取り外された姿がまだ一部残されています。屋根の構造が一目でわかる滅多にない機会でした。


 左画像で、横に架けられている木材を「母屋(もや)」といいます。
 また母屋の下を支えている、左画像でいえば丸太のように見える木材を、桔木(はねぎ)といい、軒先が瓦の重みで垂れてしまうのを防ぐ役目のものです。



 構造はこういう感じです。縦に横にと木が組み合わされています。 



 桔木(はねぎ)の丸い木が大迫力で迫っています。



 瓦の屋根だけあって、これだけの桔木が必要なんですね。

■ 平成19年(2007年)1月12日



 先月から本堂内部の建具などの解体が行われ、屋根の解体は一時中断されていました。


 一方、龍福寺の周囲でも変化がありました。
 これは山門左手の様子です。
 大内氏の時代の土塁の再現工事が進められました。西側にすでにある土塁とつながってぐるりと寺地を囲むようになるようです。


 また、山門の両側にあった土塀が老朽化のためなくなりました。今後土塀があった部分の発掘調査が行われたあと、新たな塀が御めみえする予定とのこと。

■ 平成19年(2007年)2月13日



 解体作業は屋根の下の部分ですすめられていました。



 2月は後陣の解体がすすめられていました。後陣は明治時代の建造部分です。



 解体と同時に調査がすすめられていますが、だんだんといろいろなことがわかってきました。

 たとえば内陣に敷かれている右画像のこの板は「ちょうな」で削られて板木に加工されています。「ちょうな」は蛤の形の歯を先につけた鑿のようなもので、防府天満宮で毎年行われる「ちょうな式」で県内ではご存じの方が多いかもしれません。
 その大工道具の使用から、室町時代に作られた板であると推測されています。このほかにも「やりがんな」という大工道具の使用痕跡がある板も見つかりました。大内義隆もこれらの板の上を歩いたやもしれません。


 また、画像中央の色の違う木材は、移築前はここの場所に使用されていたけれど移築後形態の変化に不用になったので別の場所で使用されていたものです。こういうふうに材木は極力再利用されていることが分かりました。

■ 平成19年(2007年)3月9日


 現在、屋根廻りの解体のための作業用の足場が組まれています。
 屋根の端の、三角に残っている部分を「妻」といい、ここから解体されはじめ、そのあとは上の胸木から順に下にさがってきます。



 屋根裏の構造。龍福寺のモデルキットを販売したらウケるんじゃないだろうかとおもってしまう眺めです。



 本堂正面の右端から眺めた光景です。



 こちらは3階見学ブースから眺めた本堂左側の光景。



 屋根の角にオレンジ色のクッションが巻かれてありました。作業されている人がぶつかっても双方安全なように配慮されているものです。

■ 平成19年(2007年)4月9日



 いよいよ屋根の柱が外されていきます。



 解体の順番は、組み立てられた順番の逆でもあるわけで。



 500年前にこの光景を目撃した人は、建築技術に驚嘆したこととおもいます。

■ 平成19年(2007年)4月18日



 今月から墨書調査が始まりました。



 解体した木材から墨書がはいっているものがでてきたからです。写真は江戸時代の天明元年の墨書です。下の部材とともに展示されています。



 解体もここまですすみました。

■ 平成19年(2007年)5月8日



 とうとう屋根がなくなってしまいました。



 本堂左側側面です。



 本堂正面。屋根がなくとも本堂の大きさはいまだよくわかります。



 屋根の下にもうひとつ屋根があるような錯覚を覚える構造です。
 これだけの太く丸い木をよく集めたものだと感心します。



 右の画像は、実際に本堂で使われていた木材の、大工道具のあとです。



 右は、平刃ちょうな、蛤刃ちょうさの跡。下はやりがんなの跡。これらも見学ブースに展示されてます。

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