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修復作業の様子

■ 平成19年(2007年)7月〜平成20年(2008年)3月の作業

1 解体工事
軒廻り:裏甲・茅負・飛檐垂木の解体と調査
    :木負・地垂木の解体と調査
    :柱の解体
本堂内部:外陣天井の解体と調査
    :内・外陣床板の解体と調査
    :縁廻りの解体と調査
    :軸部解体
    :柱の解体
2 調査事項
解体中の実測及び仕様・痕跡等を調査中
興隆寺釈迦堂時の小屋組・内部造作を復原考察中
3 墨書調査
解体した部材に残る調査
・旧興隆寺釈迦堂時のもの
・明治移築時のもの
4 大工道具の工具痕跡調査
ヤリカンナ、チヨウナの斫り加工痕

■ 平成19年(2007年)7月4日現在



 屋根のように見えますが、天井です。
 天井を解体しています。



 この天井の上に、画面いっぱいに屋根があったとは想像つきにくですが。



 材木がたくさん使われていて、しっかりとした作りであることがわかります。
 当時でも相当のお金がかかったことでしょう。

 

■ 平成19年(2007年)7月11日現在



 この日、所長さんの案内で、特別に内部を見学させて頂きました。
 内部の内陣に櫓を組んで、内から天井を解体していました。
 天井が終われば次は後陣の予定とのこと。



 画像の大内菱の入った欄間は、その菱の形と、下画像のように中世の大工道具のヤリカンナの跡があることから、室町時代のものとおもわれるそうです。



 今回はじめてヤリカンナの跡がみつかりました。
 いろいろな発見がある今回の解体調査です。



 以前の様子。後陣の前側で使われていた欄間でした。



 また、「法泉寺殿」など墨でいろいろ書かれた材木もみつかり、本堂の建築時期がより正確にわかる手がかりとなります。



 法泉寺の文字を拡大。
 「法泉寺殿」とは大内政弘のことで、画像は室町時代の書とおもわれます。



 この画像の書は明治の移築時の書とおもわれ、いろいろな時期の墨書がみつかっています。

 

■ 平成19年(2007年)8月1日現在



 先月とくらべて、天井の梁がなくなっていることが分かりますでしょうか。
 四角い穴のようなところの縦横に走っていた木材のことです。

 

■ 平成19年(2007年)8月17日現在



  屋根の板が解体され、本堂内部まで見えるようになりました。  いよいよ解体作業も終盤です。



 隙間からみえるのは本堂の床板です。



 後陣もすでに解体されていました。

■ 平成19年(2007年)9月15日現在



 現在は本堂内部の解体がすすめられています。

特別に本堂内部を撮影させていただきましたので紹介します。



 本堂内部に入ると、たいへん見晴らしの良い状態になっています。
 柱の大きさ、本堂の規模が体感でき、あらためて大内氏が氏寺に建てた釈迦堂のスケールがわかります。



 後陣。仏像が安置されていた部分です。



 外陣。正面から入ってすぐの場所です



 正面東角より床を撮影。



 堂真下の地面が上からのぞきこめます。



 柱の礎石の様子がよくわかります。



 本堂下部。礎石で柱の調節を行っていることがわかります。



 右画像、敷板の裏側の跡は、龍福寺に移築前の興隆寺の時代の横木の跡です。
 こういう痕跡から、創建当初の様子を推しはかっていきます。


 本堂正面のシャッターが見学のために開けられるようになり、ここからも見学できるようになっていました。



 このような感じで、本堂内部が正面よりご覧頂けていました。まるで工場のようですね。

   

 

■ 平成19年(2007年)10月11日現在



 秋の実りが熟しはじめる季節となりました。

 半解体工事も大詰め間近です。屋根の部分は変わりありません。本堂内部の解体がすすめられていました。



 一般見学ブースからはこんな感じの光景をみることができました。



 内部の作業の様子は、隙間を通してしかみることができませんでした。

■ 平成19年(2007年)10月16日現在


 特別に本堂内部を見学させて頂きました。天井がすかすかです。
 本堂の床にさしかけられている板は室町時代の板です。現在に残る板が往時どの部分に据えられているか、場所の特定作業がすすめられています。板のなかには外陣を張り渡せるくらいの長さ6Mにおよぶ長いものもあります。



 内陣わきから外陣を眺める。



 外陣から内陣を眺める。



 内陣の空間。



 長さ6Mはあろうかという板。



 戸の跡が残る板。



 円柱にあわせてカットされていた板。

 

■ 平成19年(2007年)11月14日現在



 見学ブースからの眺めに変化はありません。屋根下の本堂の外陣(ブースから見て本堂真裏)の解体がすすめられていました。
特別に撮影をさせていただきました。



 解体途中の外陣を眺める。
 外陣の中央部分は明治になって本尊設置のため一部取ってます。



 外陣角。
 斗供の組木具合がみてとれます。



 でっぱているところが木鼻です



 木鼻をとったところ。
 ほぞで組ませているだけです。



 柱の穴は、山から切り出し川を流すときに綱を通した部分。



 室町時代の大工さんの字。
 部材にふられた番号で、「は」でしょうか?



 画像中央の柱の右側面は、下向きにあって人目に触れるのでかんなで削って整えたところ。



 解体された部材は丁寧に保管されてます。
 調査が部屋で行われています。



 縁廻りの解体部分。



 左右で柱の位置が違います。
 縁先の柱を明治に増やしたためとのこと。

      

 

■ 平成19年(2007年)12月5日現在



 いよいよ軒廻りの解体が始まりました。



 大工さんは、500年前の大工と対話するような気持ちだったのでしょうか。



 角材、角材、角材。準備するだけでもたいへんだったでしょうに。

■ 平成19年(2007年)12月13日現在



 垂木が片付けられました。
 このあと組物の解体が始まります。



 さらに内部がすけてみえます。



 この角度から梁の組み方を見ることは二度とないのでは。

 

■ 平成20年1月10日現在



 1月は19日・20日に文化庁主催「文化財建造物保存修理公開・展示事業」が予定されているため、解体工事もそれにあわせた姿をしています。解体の過程がわかるよう特別な姿です。
 なお、先般、この解体修理が半解体から全解体に変更されました。予想以上に柱の傷みが激しかったためです。そしてそれにあわせて本堂下の発掘が行われることになりました。



 始まった発掘の様子。



 床の様子。



 柱には間違えないよう番号がふってあります。



 柱を外した下の礎にも番号。



 礎石と柱の間にかませてある木 石の形にそってカットされています。



 開けてみると・・・見えにくいですが礎石に中央線が描かれ、合わせるようになってます。



 解体された柱。右端が明治のもの。あとは室町のもの。室町時代の柱は節が多い。



 解体された「ときょう」。
描かれた花の絵があります。室町時代の大工さんは文字が読めないため、絵合わせで組み立てたのです。



 柱に残る木鼻の穴。



 屋根。



 こんな光景は今だけです。



 屋根の解体過程がわかります。



 三階見学ブースより。

1月19日・20日の展示事業ではいまご覧頂いている画像の光景がそのまま間近で見られました。

 

■ 平成20年2月8日現在



 先日の公開作業以降、急ピッチで解体が進みました。
 あっというまに構造の主要部分だけを残すまでになりました。



 解体されたために柱にさしこまれていた穴がよくわかります。



 外された木。



 床の横木もなくなりました。



 先日の公開作業で作成した檜皮葺が見学ブースに置かれました。



 龍福寺本堂前は梅の名所です。このころ、ちらほらと咲いていました。

 

■ 平成20年2月20日現在



 いよいよ解体作業も柱など根幹部分を残すのみとなりました。

この上に大きな瓦屋根があったとは。想像がつきますか。

 

■ 平成20年3月10日現在



 梅が咲く季節、梅の名所の龍福寺境内では、赤や白、黄色の各種の梅の花が満開でした。



 先月で解体作業は終了しました。



 2階の見学ブースからは、木組などが間近に見られました。



 これは3階の見学ブースからみた風景。
 本堂があった場所はがらんとしています。
 地面の石は柱がたっていた礎石です。



 本堂を支えていた柱は、すみに立て掛けてあります。



 今後は、これを機会に、市文化財保護課が発掘調査を行う予定です。

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