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山口市の史跡

第19回 湯田・井上公園

 それまでは高田公園でした。
 井上公園は平成24年3月に改称されました。
 道なりに石碑がいろいろあります。
 公園南側入り口です。
 お祭りもある広場です。
 奥には遊器具もあります。
 一部親水公園。
 足湯もあります。

 

 湯田温泉にある井上公園は、明治の元勲井上馨(天保6年〔1836〕〜大正4年〔1915〕)の生家跡にあります。公園の開設日は不明ですが、大正元年12月25日に、井上馨像の除幕式が行われたことから、このころには開園していました。このときの銅像は、もとは東京麻布の井上馨邸にあったものを移したもので、のち、戦争中に供出されました。現在の銅像は昭和31年に建立されたもので、山口県平生町出身の彫刻家河内山賢祐によるものです。ちなみに現在は洋服姿ですが、先代は勲章姿でした。                        

 井上家は大組という上士の家柄で、百石。湯田には井上家と草刈家しか武士屋敷はなかったようです。現在、このような「侯爵井上馨旧邸地」という石碑が建っています。

 

  井上馨の生家には、元治元年(1864)5月1日から11月15日まで、八・一八政変で京都から下向してきた七卿のリーダー・三条実美が滞在しました。井上家は手狭であったため急遽敷地内に二間の離れを建て、そちらに滞在しました。その離れを加藤有隣が何遠亭(かえんてい)と名付けました。
 画像は「何遠亭趾碑」。

 

 この大きな松の木は、三条実美手植え松です。三条実美の逸話にこういうのがあります。文久4年(1864)1月10日、今年初めての子の日。三条実美は真木和泉らと恒例の小松引をしに朝倉八幡宮へいきました。「小松引き」とは、平安時代からの宮廷儀礼です。正月初めの子の日に小さな松の木を引き抜いて、長寿を祈願する習わしでした。彼らは境内の小さな松を掘り取ろうといましたが、鍬を持って来るのを忘れました。真木和泉が「こまつたな。」(小松たな・困ったな)とダジャレをいいました。それから三条らはこの松を鉢植えにして、松の小枝に自筆和歌の短冊を結わいつけました。「時しあれば世にあいおいの姫小松きみに引かるることもありなん」 

 石碑「三条公手植松」
 石碑裏「大正十五年十一月十一日」

 

 

 

 

 幕末、長州藩の勤皇の公卿たちと連絡して、尊王攘夷の先鋒となって働きました。これに対し幕府は、長州に政権を奪う野心があるとして、長州藩士とそれに同調する三条実美ら七人の公卿に文久三年(一八六三)八月退京を命じました。これが有名な七卿落です。藩主毛利敬親公はこれを迎え、三条らには井上家を増築して住まわせ、諸国の志士たちと王政復古のことを相談しました。七卿らの志はやがて実現し、明治の新政府樹立後、三条らはその中枢にあって活躍しました。この碑は七卿の忠誠をしのび、その遺跡を記念するため大正十五年(一九二六)十一月に建立されたものです。(説明碑より)

 書は長州三筆の一人、野村素介です。
 この七卿碑の建立には、詩人中原中也の父中原謙助が発起人の一人として深く関わっています。

 

 

 

 

 

 

 

 井上馨像の隣にたつ、所郁太郎顕彰碑です。所郁太郎は天保九年美濃国赤坂に生れ、長じて医学を学び、京都で医院を開きました。長州藩の京都藩邸に近かったため、邸内医員を委嘱されましたが、尊王の志篤く、医業をやめ国事に尽くそうと長州に来住しました。下関の攘夷戦にも参加し、七卿西下に際してはその医員を命ぜられました。元治元年9月、井上馨が袖解橋で遭難したときはただちに馳せつけ、刀傷を五十数針縫う大手術を行い、奇跡的にすくいました。のち内訌戦のときは遊撃軍の参謀として高杉晋作を助けましたが、陣中で病に没しました。(説明板参照)

 

 これは「龍尾の手水鉢」です。この手水鉢は古くから井上家にあり、龍の尾の形をしているので、龍尾(りゅうび)の手水鉢(ちょうずばち)と呼ばれています。三条公らの七卿や明治維新の諸国志士たちが、井上家を訪れたときに使われたものです。その後、井上侯の東京移住にともない、この手水鉢も他に移されましたが、大正のはじめこの地に井上馨侯の銅像がたてられたとき、昔をしのぶ由緒あるものとして、再びここに据えられました。(説明板より)

 この立派な石碑は、龍尾の手水鉢の石碑です。再設置のときのものです。
 龍尾の手水鉢のすぐ裏は、中也の詩碑が建っています。

 

 

 

 

 

 中原中也の詩碑です。昭和40年6月建立。碑の設計は志水晴兒、石は徳山産の黒御影。詩句は小林秀雄書、碑文は大岡昇平です。碑面の詩句は、詩集『山羊の歌』に収録されている「帰郷」の一節が一部省略と字体をかえて刻まれています。「これが私の古里だ/さやかに風も吹いてゐる/あゝおまへは何をして/来たのだと/吹き来る風が私にいふ」

 

 

 種田山頭火の句碑。昭和37年11月3日建立。「ほろほろ酔うてこの葉ふる」。山頭火は湯田に昭和13年11月から翌年9月まで「風来居」に住んでいました。湯田温泉にもよく入湯しています。

 

 

  ひょうたん池というのもあります。大正6年(1917)に造られたものです。山頭火の句碑はこの池のそばに建っています。きっと山頭火もこの池のそばに佇んだことがあったとおもいます。

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