山口市の幕末維新の歴史

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幕末の史跡

第5回 赤禰武人顕彰之碑

赤禰武人(あかね たけと)は岩国市の沖にある柱島の医者の家に生まれました。

長じて勤王僧と呼ばれた月性に学びます。月性は吉田松陰と交友があったことから、赤根も吉田松陰に学んだ時期があります。その後、高杉晋作らと英国公使館焼き打ち事件に参加し、文久3年の下関での外国船砲撃にも参加。同年、奇兵隊第3代総督に就任。

元治元年第二次長州征伐が行われる前に、危機の長州藩を救うため幕府側とつながり説得にまわったことから、裏切り者とされ、慶応2年(1866)1月25日、処刑されました。ときに武人29歳。

長らくその行動が誤解され、悪しき評判がたっていました。顕彰碑が建立されたのは近年のことです。


碑の裏手は川です。 椹野川と仁保川が出合うところから、 出合河原と呼ばれていました。 背景の山は、姫山。

JR山口線沿いに建っています。

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