山口市の幕末維新の歴史

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幕末の史跡

第7回 萩往還・鯖山峠

 これは防府市との境にたつ群境の碑です。手前が佐波郡(防府市)側で、奥が吉敷郡(山口市)です。佐波山隧道に並行して走る山道のなかにあります。
「萩往還は、萩市から旭村、山口市をとおって防府市までをほぼ直線上に結ぶ五十三キロメートル(十二里)の道をいいます。
 この道は、江戸時代以前から部分的には利用されていましたが、江戸時代になって徳川幕府の一国一城令によって、毛利氏は萩に城を築き参勤交代制度の開始によって、萩と山陽道を結ぶ重要な道となり、幅約四メートル(二間)の道に整備され萩往還と呼ばれるようになりました。
 また多くの人馬の往来に必要な施設として、一里塚や御茶屋、通行人の取締りにあたる口屋などがあり、道の両側には往還松が植えられていました。
 山口市では、文化庁や件県の指導により旭村坂から天花畑までの二,四八二メートルを歴史の道として整備し、多くの方に利用されています。」(説明板より)


鯖山峠の途中からみえる山口方面の風景です。左手に面貌山がみてとれます。

ここからが昔は吉敷郡(山口市)だったわけです。幕末にはここに勝坂関門が設けられ、通行許可書がないものは入れませんでした。


ちなみに佐波郡側(防府市)には「明治天皇鯖山峠御小休所址」が群境碑の反対側に建立されています。

峠の途中には平らになった場所がいくつもあります。茶店や御駕籠建場などかつてはなんらかしらの建物があったとおもわれます。

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