山口市の幕末維新の歴史

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幕末通史

【 戊午の密勅 】

密使下藩

密勅を京都から持参したのは、右田毛利家の家来甲谷岩熊であった。甲谷は文雅風流の道に親しみ、久しく京都に足をとどめていたのであるが、御所にまねかれて、朝廷の密使として長州に下るよう依頼をうけたのである。

萩城に到着した甲谷は、国家老益田親施を経て、密勅を藩主に伝えた。書中の大意は、内外時勢の危急を説き、京都警衛の微力をなげき、沈勇忠烈な雄藩の奮発を促すというものであった。長藩ではこれを孝明天皇の戊午の密勅と称している。

答勅使上洛

敬親は密勅に感激して、早速重役会議を開いて協議し、勅旨を奉戴し、御下問奉答、時局獻策のために、重臣周布政之助を答勅使として上洛させた。周布は参内してひそかに正親町三条実愛に謁し、敬親からの奉答の要旨を伝え、特に皇城守護については、すでに兵庫海岸に出衛している兵があるので、これをもって内憂外患を問わず、天朝に忠節を尽くすことをのべた。

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