山口市の幕末維新の歴史

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幕末山口諸人往来

第4回 志士帰藩〜文久3年4月25日

久坂玄瑞ら、攘夷決行に備え京より下る。

4月25日

夜、久坂玄瑞*らが京より下ってきた藩士が山口の町に入り、中河原御茶屋にみえました。

(久坂は京都にいましたが、毛利元徳より速やかに藩地に赴き京都の事情を敬親に報告するよう命を受けたさい、攘夷決行間近の情勢ゆえ直ちに下関に赴き攘夷の先鋒になりたいと答え、元徳が許したものです。)

以下、久坂玄瑞らのそれまでの行動

4月18日
  大阪発。
(このとき一緒に下った者に、山縣甲之進、天野清三郎、冷泉雅次郎、井上市之允、山田市之允、佐伯梅三郎、弘勝之助、周田半蔵、瀧鴻次郎、山縣初之進、長野熊之丞、入江九一*、山縣小助、馬島甫仙、赤根幹之丞*、杉山初之進、中村芳左衛門、来島小禄、元森熊二郎、野村和作、作岡千吉、岸十之丞、堀平三郎、堀弥四郎、吉田栄太郎、山田虎之助、藤村英熊、石川山平がいます。)

 

4月20日
将軍が攘夷期限の決定を朝廷に奏上。

4月21日
朝廷は5月10日を以て攘夷期限と為すの勅を発しました。
(同日、他の在京の志士も攘夷期限の決定を聞き、下関へ向けて下りました。  岡部富太郎、岡部繁之助、赤川雄三、石川幹之丞、太田市之進、世良寿三郎、木梨助太郎、粟屋直次郎、幸坂太仲、佐々木謙蔵、石川小五郎、斎藤新太郎にくわえ、斎藤篤信斎の弟九一郎門生三宅小備後、須藤権之丞、吉田虎尾は石川小五郎に従い、高橋熊太郎と中野連は太田市之進に伴い、長州藩を目指しました。)

 そして4月25日の中河原御茶屋来訪となるわけです。

4月26日

 

久坂らは敵情探索御用として赤間関出張を命じられ、同日山口の町を出発、できたばかりの小郡関門を通りました。そのときの通行名簿が残っています。久坂玄瑞其外30人、岡部富太郎其外12人、水戸藩士2人、斉藤篤信斎門人4人。

 

4月29日

攘夷の戦期迫るをもって藩内士卒服役の法度がでました。

5月2日

攘夷期限決定の降勅と幕令を藩内に布告、併せて警戒の令を発しました。

参考文献:「防長回天史」(末松謙澄著 マツノ書店 平成3年刊)
両公伝編年史料、尊攘日誌(いずれも山口県文書館所蔵)

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