山口市の幕末維新の歴史

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幕末の舞台

赤妻神社・錦小路頼徳墓

場所:山口市赤妻

登場人物:錦小路頼徳、三条実美他

時:元治元年(1864)5月〜7月

 錦小路頼徳(にしきこうじよりのり)は、堂上公家(出家)正三位唐橋在照の子で錦小路頼易の養子。嘉永4年8月叙爵。文久2年4月右馬頭に任ぜられ、同年10月従四位上に叙せられました。安政5年3月、条約幕府委任反対の八十八卿列参に加わり、朝権回復に尽力。文久3年2月国事寄人に補せられました。
 その後、三条実美ら同志公家と共に攘夷親征・大和行幸を企図しましたが、同年8月18日の政変で失脚。三条実美・・三条西季知・東久世通禧・壬生基修・四条隆謌・沢宜嘉の6人の公卿と共に長州へ下りました。世にいう七卿落で、錦小路卿はその一人です。
 長州に滞在中の元治元年3月下関視察の際に発病し、宿泊先の白石正一郎宅で4月25日に没しました。享年三十。
 元治元年5月8日、錦小路頼徳卿の遺骸が湯田にある龍泉寺に運ばれ、葬儀ののち、赤妻に葬られました。

赤妻神社境内です。
住宅街の一角にあります。

 7月3日、錦小路卿の御霊社ができ、神霊を赤妻山頂に勧請。五卿(脱走した沢卿がいない)も参列して長州藩主により祭祀が執り行われました。

錦小路頼徳墓です。
碑銘の裏にある寄贈者一覧。

 錦小路頼徳墓は山口市指定文化財です。背後の三角形の石は明治3年建立の「贈正四位錦小路君碑銘」。碑文は加藤有隣、書は長三洲。篆額は三条公。
 裏には、寄贈者として三条実美ら七卿落の生存者六卿と、仕えてともに苦労し明治新政府で出世した人たちの名前が彫られています。

赤妻神社の社殿です。
「赤妻神社総絵図」より。当初の社殿はこのような形。
「赤妻神社総絵図」より。右が社地、左が墓地。

 赤妻神社。祭神は錦小路頼徳のみです。
 創建当初はもっと奥の、現在住宅街となっている場所にありました。近年、土地開発に伴い、錦小路墓所の隣に移されたものです。
 明治3年作成の「赤妻神社総絵図」(山口県文書館所蔵)をみると、拝殿と社殿がありました。  名前も安賀(加)都麻神社と漢字が違います。神社の社自体も変わっています。

近年建てられた慰霊碑。

 元治元年4月25日、異郷の地下関にて生涯を閉じた錦小路頼徳。彼は病床で最後の刹那に、遥か東方に向かい再拝し歌を詠んだといいます。それが、
「はかなくも三十路の夢はさめてけり赤間関の夏の夜の月」
「君がためすてむ命のいたつらに露と消えゆくことおしそ思ふ」
 慰霊碑として辞世の和歌の歌碑が建立されています。

広沢真臣墓。東京松陰神社にもある。

 また、境内には広沢真臣夫妻の墓もあります。

◎下向中の錦小路頼徳の足跡
文久3年(1863)
■8月18日:八月十八日の政変。尊攘派公卿と長州藩、御所より排除される。夕刻、七卿と長州藩士ら、東山の妙法院に集結。
■8月19日:七卿(三条実美・三条西季知・東久世通禧・壬生基修・四条隆謌・錦小路頼徳・沢宜嘉)、山崎へ退去。清末藩主毛利元純・岩国藩吉川経幹も従う。総勢二千人以上。摂津国芥川に旅宿。
■8月20日:七卿、摂津国西宮の本陣に宿泊。
■8月21日:七卿、早暁出発。兵庫港に着く。楠正成の墓に参る。灯の頃、乗船。 一番船に三条公。二番船に三条西卿・壬生卿・四条卿・錦小路卿。三番船に東久世卿・沢卿。
■8月22日:七卿ら出港。
■8月23日:広島の鞆浦に暫時入港。
■8月24日:朝廷、七卿の官位剥奪を発表。
■8月26日:三番船、僚船とはぐれて夕刻三田尻(防府市)着。東久世と沢は、招賢閣に滞在していた監察使正親町公董から水干の衣を借りて、正親町により招賢閣に引き入れられる。
■8月27日:一番船と二番船の五卿、徳山港(周南市)の埠頭に着。客館で休息。萩・清末・岩国の藩兵に守られて、陸路を通って夜三田尻茶屋の招賢閣に着く。
■8月28日:七卿、真木和泉を使者として山口へ遣わし、藩主毛利敬親に下向の趣旨を伝え、時局恢復の周旋を依頼。
■8月29日:徳山藩主、三田尻の七卿を訪問。無事の来国を祝す。
■9月1日:周布政之助、七卿に謁す。
■9月2日:長州藩主父子の使者として楫取素彦(小田村文助)、七卿に面会。また、笠間藩士加藤有隣が諸卿に会い、二十七日までの京都の様子を語る。
■9月4日:長州藩の支藩である清末藩の藩主毛利元純、七卿に面会。
■9月9日:七卿、官位停止に伴い、姓名を改める。七卿、馬に乗り、防府天満宮に詣でる。長州藩主父子より七卿に酒がおくられる。
■9月15日:藩主毛利敬親、三田尻へ向い、五十君家の本陣で休憩し、三田尻茶屋に入り七卿に面会。同日茶屋を発し、兄部家の本陣に休憩し、夜に入って中河原茶屋に帰る。
■9月20日:長州藩主の書状を持って高杉晋作、山口より到着し七卿に謁す。
■9月21日:中岡慎太郎、七卿に謁す。
■9月25日:奇兵隊百五十人、招賢閣前庭にて七卿に面会。
■9月28日:平野国臣、七卿に拝謁、生野での義挙をとく。
■10月2日:沢卿、平野らの手引きで脱走。義挙のため生野へ向かう。
■10月3日:錦小路卿、沢卿脱走の件について山口へ報告へ行く。
■10月4日:錦小路卿帰館。明日より湯田温泉へ行く事が許されたとのこと。
■10月17日:六卿、奇兵隊等三百人を率いて、茶臼山にて兎狩り。軍事演習の一環。
■10月26日:三条公をのぞく五卿、居住場所を三田尻茶屋招賢閣から興隆寺氷上山真光院(山口市)へ移す。
■11月4日:毛利敬親、小郡で騎馬隊調練を覧る。六卿も小郡馬寄見物に行く。
■11月10日:東久世卿・錦小路卿、宇部の領主福原越後に請われて宇部へ。阿知須で休憩し、床波に宿泊。
■11月11日:東久世卿・錦小路卿、宇部滞在。八幡宮で剣術など見る。
■11月15日:東久世卿・錦小路卿、宇部より帰る。
■11月19日:東久世卿・壬生卿・四条卿・錦小路卿、剣術稽古。
■12月25日:三条公と壬生卿、三田尻より戻ってくるというので、四條卿、錦小路卿、東久世卿が柊(山口市大内地区)まで出迎える。三条公は湯田へ帰る。
■12月26日:氷上山真光院で五卿ら節分。形の如く豆囃を河村能登守が務める。

文久4年・元治元年(1864)
■1月1日:東久世卿・四條卿・錦小路卿と土方久元が三条公を訪問。
■1月2日:東久世卿・四條卿・錦小路卿、毛利元徳と銃陣検閲のため三田尻へ。柊で休憩、鯖山峠で昼休み、三田尻に着いてすぐに海浜で調練御覧。
■1月4日:東久世卿・四條卿・錦小路卿が台道の佐野峠まで騎馬で往復。
■1月8日:東久世卿・四條卿・錦小路卿、宮市で相撲御覧。
■2月15日:東久世・四條・壬生・錦小路の四卿、山口大神宮に参拝。
■2月16日:錦小路卿と四條卿が氷上山で兎狩りするが何も獲れず。
■3月5日:三条公・三條西卿・東久世卿・壬生卿・四條卿・錦小路卿、矢原河原へ行き、藩主父子と歩兵騎兵砲兵の三兵隊の調練を御覧。
■3月26日:六卿、馬関砲台(下関市)巡視へ、騎馬で発つ。正午、山中駅(宇部市)で昼食中、錦小路卿が喀血を催し、駕籠にのりかえる。
■3月27日:六卿、馬関に到着。白石正一郎宅に宿泊する。
■3月28日:六卿、亀山八幡宮に参拝。砲台巡視。
■4月4日:錦小路卿をのぞく五卿、長府を発し山口へ。錦小路卿はそのまま下関で静養。
■4月25日:錦小路卿、下関で逝去。
■4月26日:錦小路卿が下関で吐血した報せが山口に着き、東久世が向かう事が決定。
■4月27日:東久世卿、下関へ。
■4月28日:東久世卿、下関着。昨日入棺した錦小路卿と面会。
■5月1日:三条公、井上家(井上馨の実家)の屋敷(高田御殿)に移る。東久世卿と四條卿は湯田の龍泉寺(前町御殿)に移る。三條西卿と壬生卿は、草刈屋敷(湯田御殿)に移る。
■5月5日:東久世卿、下関より帰着。
■5月8日:錦小路卿の遺骸、龍泉寺に着く。葬儀。赤妻に葬る。藩家老の益田右衛門介・福原越後・国司信濃も随従。
■5月9日:五卿、赤妻に詣でる。皆三日間精進。
■5月25日:三条公、高田御殿で楠公祭を挙行。のち錦小路卿の初月祭にもあたるので赤妻へ参詣。
■7月3日:錦小路卿の御霊社出来る。神霊を赤妻山頂に勧請。赤妻社と号す。五卿参拝。長州藩主により祭祀執行。

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