山口市の幕末維新の歴史

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幕末ドラマチック山口

木戸孝允旧宅跡・木戸神社

場所:山口市糸米

登場人物:木戸孝允、松子、大久保利通、西郷隆盛、毛利敬親、井上馨他

時:慶応2年(1866)~明治7年(1874)


 当地の説明板より。
「木戸孝允(桂小五郎)は、萩の藩医・和田昌景の長男として生まれました。いわゆる明治維新の元勲であり、西郷隆盛、大久保利通とならんで『維新の三傑』と称されています。山口移鎮に伴い、慶応二年(一八六六)、糸米村に別邸を構えました。
 明治十年(一八七七)、木戸は京都で病死しますが、死に臨んで、糸米村にある邸宅と山林を糸米村へ寄付し、村民の学資に充ててもうらいように遺言しました。孝允の死後、長男の木戸正二郎が遺言に従って、旧宅・山林を、山口県への寄託を通じて糸米村へ寄付しました。糸米村はそれを公債証書へ転換し、その利子をもって村民子弟の学資に充てました。
 村民は孝允の遺徳に報いるため、孝允旧宅の地に祠を建立し、明治十九年(一八八六)には孝允を讃える「木戸公恩徳碑」が同地に建てられました。この祠を中心として木戸神社が創建されました。」

②現在は国道9号線から入ります。
①青丸で示した所が木戸邸の場所です。
④「木戸孝允旧宅跡」碑です。
③邸跡は記念碑と説明板のみ。
⑥脇に孝允も涼んだ小川。
⑤説明板です。
⑧鳥居や社殿はのちのものです。
⑦木戸神社は邸跡の隣。
⑩参道の恩徳碑
⑨明治に村民が建立した祠


●「史実参照 木戸松菊公逸話」(妻木忠太著 昭和10年)より、木戸宅でのエピソードを紹介します。

◎妻木忠太
 公は慶応二年今の山口市の管内である糸米にある宅に移転した。
 此の宅はもと同藩士の湯川平馬の住せし丘地であって、後に松樹繁茂して渓流に臨み、春時梅花馥郁の雅趣があったのである。

◎田中光顕(伯爵)氏の談話(大正7年5月7日)
 木戸公が山口の糸米に住居せられた時に、私が其の宅に参って、種々の話を聞いたことがある。
 或る日、公の夫人の翠香院が、私の着物は垢染で臭気が甚だしいから、洗濯しませうと言って、別の着物を出された。
 それは公の着物であって、之を借りて着たこともあったのである。

◎児玉愛二郎の談話(大正6年11月28日)
 御一新後に、公がまだ糸米の家にをられた時に、訪問して其の夫人に始めて逢ふた。
兎に角に、彼の夫人は狭気があって、公の将来を知ることのできる偉いものである。


●明治元年から亡くなるまでの木戸孝允の日記が「木戸孝允日記(日本史籍協会 マツノ書店)」として刊行されています。
 そこから、糸米の木戸宅における部分を抜き書きして紹介します。※印の文言はこちらで挿入したものです。

①明治元年(1868)閏4月14日から5月7日まで。
 この間、小幡高政、御堀耕助、野村素介、杉孫七郎、山田顕義、北越戦争へ出征する福田侠平・日柳燕石などが来訪しています。
 また、植木屋に頼んで、杜鵑花(※とけんか サツキツツジ)を植えてもらっています。

明治元年(1868)
■閏4月14日
 整武隊の馬をかり帰鴻す(中略)五字家に帰る 中山澄鈴木直等来る家内共に傾一酌十字頃就眠
■閏4月15日
 終日客 藤田与服部半小幡缾山(※小幡高政)竹田祐(※竹田祐伯 医師)林半等来る 夜春江(※御堀耕助)悠々(※福田侠平)の二子来る 大に時勢を談しまた春江出勤の事を論す 半決して未尽二三部両二子と共に寝に就く
■閏4月16日
 終日不絶客来岡義(※岡義右衛門)竹田祐(※竹田佑伯)等来る 今日為疾亦不能出
■閏4月17日
 客来甚繁し十字野村弥より世子君(※毛利元徳)三田尻に御帰着遊し事告け来る 四字頃登館
■閏4月18日
 七字過家に帰 吉富(※吉富簡一)来る 一泊して去る 今日大公(※毛利敬親)より鯉魚を賜ふ
■閏4月19日
 朝鍔師寺戸一郎来る 金作りの小刀合口の金物を頼む 銀作りの大刀金物図面来る 鹿の目貫はみ出し鍔大小馬鹿の小尻も一同相托す 過日桐の鍔も頼み置し也 十字過政事堂へ出(中略)八字家に帰る 昨日有約缾山(※小幡高政)夫婦山田鈴木の二娘小酌して臥す
■閏4月20日
 大雨缾山の一連到午時挙て去る(中略)午後来島亀之進(※森清蔵?)中村芳三来る有 暫て福田侠平亦来る 侠平是より到馬関直に北越に赴んとす 依て来て告別 彼亦大に京城の事御国の事とを心に關(関)す 余をして速に上京をすすむる事頻なり 相共に傾数十杯 日柳柳東(※日柳燕石)阿部平右衛門(※安部平右衛門)も亦継て来 山田市之允(※山田顕義)も不期して来る 来島中村先して去り薄暮福田侠も相発す 到夜山田帰去す 日柳阿部一泊して去る 柳東作二詩
■閏4月21日
 朝登局(中略)暮に至りて家に帰る 夜古箱を探り久坂(※久坂玄瑞)高杉(※高杉晋作)等の書を得る 今日の事又不偶然也
■閏4月22日
 大雨朝訪広沢(※広沢真臣)の留守(中略)三字過退去 有約侍御林柏村(※柏村信)杉(※杉孫七郎)三氏と小缾山翁来る 迫暮雨盆急也 余居を扑糸米巳来渓流如此の激なる未知なり 小酌数刻林柏小三氏冒雨帰る 杉氏一泊す(中略)夜旧詩を出して与杉氏文字の穏不穏を論す
■閏4月23日
 晴 朝貞永幽之助来る 大津四郎右衛門(※大津唯雪)も亦継て来る 小酌閑談 午後共に去る(中略)植木屋来り 杜鵑花(※とけんか サツキツツジ)を種ゆ 寺戸も亦来る 愛瓢の口と所愛の舶来手燭の修繕を托す 夕刻湯田に到り(中略)十字前家に帰る
■閏4月24日
 朝、山田七平衛井上五郎三郎(※井上馨の兄)御堀春江其外坐客充満尽散て春江続残大に時勢の事を論す。共に登館す(中略)薄暮去て家に帰る小松(※小松帯刀)広沢(※広沢真臣)等への書簡を認 于時雨降天暗 小幡柿並藤田中村等来る 或いは酌酒或は賦詩或は囲碁 一泊して相談す
■閏4月25日
 欲降未雨朝共に酌数杯 京都への書簡を出す 世子君有命召 余十一時頃共に出家
■閏4月26日 
 十字発鴻城
■5月5日(※この日まで萩行)
 早天発佐々並 于時雨如傾盆 十一字過漸帰于家 始終大雨不歇道路幾処作川 四字野村右仲(※野村素介)来る 互語上京之近情
■5月6日
 今日姉君忌日なり朝焼香而祭る 御堀春江等来る 午後登局 大君に拝謁す 呑鵬(※杉孫七郎)缾山来訪一泊して去 呑鵬印一顆を送る 事々不如人の語あり 缾山半江之画一幅を送る 牡丹の画也 二子一泊して去る 寺戸正兵衛来る 小刀の金具漸成就す
■5月7日
 晴 出途の支度甚半途実に大混雑未他行之日静寂なる事なし 余甚歎し而して未遂 其思今日の一遺憾とす 正次郎(※養嗣子 妹と来原良蔵の子)登山顛倒石上に落石を疵く 医師田某来て療之鍼こと二針 余今日長崎に携んと欲し已に々々得公許不図も此事あり 遺念無限 世子君招余午後登局(中略)四字帰家晩刻 近所又は広沢留守を尋ね出発す


②明治2年12月29日から明治3年5月20日まで。
 この間、1月14日には薩摩藩の大久保利通と黒田清隆(のちの第2代総理大臣)を招いて閑談しています。そのときに大久保が糸米の木戸邸について漢詩を詠んでいます。
 「風流本属君堂
 名嶺入窓水続廊
 誰識幽情此裏味
 老梅花上月明香」
 また、1月26日から2月19日までは脱隊騒動鎮圧のために奔走しています。
 5月18日には、藩主より脱隊騒動鎮圧の功を褒められ、毛利敬親・元徳父子が糸米の木戸邸を来訪されました。酒と食事を呈したり、閑談あるいは囲碁をして半日過ごされました。藩主が家臣の家を訪問するというのは、木戸にとって大変名誉だったとおもいます。
 5月20日に旅立つときは、糸米村の農民が老いも若きも皆出てきて見送ってくれました。地元の人との篤い関係があったことがわかります。

明治2年
■12月29日(※前日帰鴻)
 六字帰家 今夜吉富(※吉富簡一)来り 大に時事を痛談す
■12月30日
 晴 小幡缾山(※小幡高政)尋来る 昨夜来不絶客来 終日家居
明治3年
■正月元日
 晴 登館(中略)夜に入帰宅
■1月2日
 晴 井上氏其外杉氏(※杉孫七郎)より書翰到 前途を深憂し心事云々なり 元々余之見に無違
■1月3日
 晴 与山縣共に登館(中略)五字過帰宅 今日暖気如晩春
■1月4日
 朝雨 九字瀧来訪 十字共に家を出(※4日と5日は小幡宅に泊まる)
■1月6日
 五字退出 朝来腹痛に下痢為病にも亦苦む
■1月7日
 雨又晴 終日家居養病 昨日有富源兵衛(※秋穂の豪商)来る 客来不絶 寺内又来
■1月8日
 雨又晴 竹田祐伯来疹 不絶客来 国家之事に関係する不少 野村宍戸山縣瀧等来る 大に国事を談す 心事甚苦 夜深甚腹痛 妹並彦太郎彦二郎萩より来る
■1月9日 
 雨又晴 終日客来 有富手代一助来る不日北海道へ発す 嶼団右衛門へ一書を送る 奥平二水来訪 福原三蔵大岡大眉久保松太郎来訪 皆関国事なり(中略)久保奥平二氏一泊相談す
■1月10日
 昨夜来風雪四方如銀 野村杉等之書翰至る 福原内蔵允来り談す関国事なり 昨朝時田衛熊野清右衛門等来り談す 尤国事之苦談なり(後略)
■1月11日
 晴 病気未全快 客来絶へす 皆今日之事に関係す
■1月12日(※この日より16日まで大久保利通・黒田清隆来山)
 晴 坐客充満 今日馬関へ飛脚を出し世外へ一書を送る 佐々木二郎四郎瀧鴻二郎寺嶋秀二郎萩より来る(中略)寺内来訪 大久保(※大久保利通)黒田(※黒田清隆)入鴻 両氏切に面会之事を云 依而病を勉め寺内と湯田茶屋に至る
■1月14日(12,13日は瓦屋に宿泊)
 曇 朝大久保黒田を訪ふ 十二字過広沢留を訪ひ直に帰家 今日大久保黒田両氏を相招し対酌閑談 野村杉寺内等も来る 十字過大黒相散 杉野村等と屡相談論 野村去 杉泊す

【※大久保利通日記(マツノ書店)より
 1月14日 今夕訪木戸 杉野村等同会 木戸氏宅鴻嶺之本に新築 眺望最宜 山水之風景閑雅頗逸興也 入夜月色暗淡上梅樹 以賦一詩呈主人 風流本属君堂名嶺入窓水続廊誰識幽情此裏味老梅花上月明香】

■1月15日
 晴 登館(中略)八字帰家 湯川等と相談す
■1月16日
 妹帰萩 大久保黒田を訪ひ昨日の御主意を尚重陳し今日両氏之帰るを送る(後略)
■1月18日(17日は小幡宅、18日は館で泊す)
 (前略)十字帰寓
■1月19日
 登館(後略)
■1月25日(この日まで脱隊騒動の対処で他泊)
 (前略)到鶏鳴帰宿
■1月26日
 朝佐々木吉富長瀧等来る 頃日同志のもの終日不絶来訪 切に又国を憂るもの亦不少十字過急報あり 認食結髪 一字過出家(後略)
■2月19日(この日まで脱隊騒動鎮圧に奔走。2月12日~14日西郷隆盛、来山))
 (前略)夜に入帰家
■2月20日
 晴 客来不絶 登館(後略)
■2月21日
 晴 登館(中略)夜十字過帰家
■2月22日
 晴 登館(後略)
■2月23日
 曇 十字より雨 朝来客来不絶 過日来余の関係せし第一大隊の混和漸相調野村杉等来る 将来の事を論す 三字過奥平等の湯田に至る(後略)
■2月24日
 朝雨 十二時頃より晴 登館(中略)十二時頃帰家 井上齋次来り泊す
■2月25日
 晴 登館(中略)七字過帰寓 奥平二水来泊
■2月26日
 雨 日々客来不絶 十二字過漸登館(後略)
■3月8日(この日まで徳大寺卿来山のため他泊)
 九字頃帰家廿六日来始て今日家に帰る
■3月9日
 晴 出萩の用意をなす 十字頃高杉翁を訪う(後略)
■4月17日(この日まで萩等出張)
 一字過帰家(中略)四字余椙原の宅に至る(中略)七字帰家 小松書状の一條に付吉富楽水来り談す(後略)
■4月18日
 晴 朝椙原大監察帯内命来談(中略)変動已来失機国事不被行の件不少余窃に痛歎不欲登館 有命不得止登館(中略)八字帰家(後略)
■4月19日
 晴 十字登館(中略)余十字帰家 萬代屋甚七を呼 明朝より馬関に至ることを命す 小松関係の一條なり
■4月20日
 晴 十字登館(中略)九字頃帰家
■4月21日
 晴 一邨の老少婦女来て余の薩行を送る 其他坐客充満 杉梅太郎内藤作兵衛も亦来る 七時出立 随行来原幸坂二姪杉山等岡村又小野三宅宗僕来助なり(後略)
■5月14日(この日まで薩摩行)
 (前略)八字過帰寓
■5月15日
 朝二水前田等来る 八字過登館(中略)六字五十鈴御殿へ出余不日東行に付酒賜ふ也不図大酔終に臥殿中不知到天明暁漸帰寓
■5月16日
 晴 松屋吉田佐藤缾山敬宇二水吉松山縣弥八等来る 十字登館(中略)三字退出帰寓 又広沢竹田青木井上を訪ひ麻田翁の墓に詣り瓦屋に至り七字帰寓夜揮毫
■5月17日
 晴 登館 今夕諸子を招き糸米山堂におゐて杉柏村宍戸山縣久保大津奥平寺内木幡木梨中山等と別飯す 養蚕局の少女瓦屋姉妹来て輔酌十二字頃皆散于時雨降る
■5月18日
 朝雨 野村靖之助中村芳三郎等来る 常備前途の事相談す 十一時登館(中略)二字過両公(毛利敬親・元徳)余の山堂へ御下りあり 大津寺内来て周旋す 村田峰二郎中山(空白)姪彦太郎給仕す 林萬樹多等其他御近昵七八輩来従酒飯を呈し或は閑談或は囲碁半日被為消薄暮御帰館被遊候 妹も今日被召出賜杯 九字過御館へ御礼に出家鴨二を献す(中略)十二字過帰宿 今日昼頃より雨歇
■5月19日
 晴 客来数十人 不能出 漸十一時頃外出訪諸友人告別(後略)
■5月20日
 晴 入夜雨 政府諸子其他送別の客数十人来家八字頃出立 御堀に送るものあり 氷上に送るものあり 糸米の農民老少皆出て別を告く(後略)


③明治3年12月22日から明治4年1月15日まで。
 この間、1月10日には大久保利通と西郷隆盛がそろって糸米の木戸邸を訪れています。明治維新三傑が木戸邸に集合していたのです。
 また、1月15日、上京するために旅立つとき、糸米村の農民がことごとく見送ってくれました。
 
明治3年
■12月22日(この日まで上京)
 (前略)六字帰家 中山澄江来る 利兵衛小郡近辺まて迎ひ来る
■12月23日
 晴 三好軍太郎大津四郎右衛門中山勝士柏村杉両大参事久保小参事吉田白根大属等其他数十人来訪 暁より晩に至りて不絶 六字頃湯田瓦屋に至り一泊す

明治4年(この日まで防府に泊す。岩倉具視を待っていた)
■1月7日(※7日から14日まで大久保利通、西郷隆盛来山)
 晴 帰鴻(中略)夜山縣弥八奥平数馬坪井宗右衛門勝坂之本兵衛等来る 小酌相談
■1月8日
 晴 山縣狂介三好軍太郎有富源兵衛等来る 岩卿より御書翰到来せり 二字過大久保を訪う西郷も同座なり(中略)入夜帰宿客来不絶
■1月9日
 雨(中略 ※岩倉具視、勅使として豊栄神社礼拝)夜坪井長屋山縣正木国重等来飲(後略)
■1月10日
 晴(中略)今朝二氏(※大久保と西郷)余の寓に来り 此土余に土州へ同行之事を請ふ 余従其切終日客来夜は又友人等来飲


【※大久保利通日記より 
1月10日 今朝西郷子同道木戸江相訪土行江相談に及候処同意有之及安心候】

■1月11日
 晴(中略)終日客来(後略)
■1月12日
 晴 朝来客如沸過日来肥後人屡来湯治一二外ニ名も来談 十一字過杉を訪ひ(中略)九字帰宿坐客如山
■1月13日
 飛雪如花当年之寒気十七年来未曾有之説あり 十二字勅使御旅官にて両公より御饗応あり余も亦其席に陪せり(中略)九字過帰宿客来無間断実覚其忙
■1月14日
 白雪満空四山如玉(中略)薄暮帰宿 三文字屋虎二郎来る 去年国難之節彼隠然力を尽す処多し依て余條公(※三条実美)の御短冊一葉を与ふ 今日客来如山凡 山縣弥坪井宗大津四岡義寺内暢佐藤弥正木市兼重譲白根多秋良敦岡村熊其他不能筆 客去已に四字に近し
■1月15日
 晴 昨宵来る所の人々又皆来其他客満家 又糸米之農民尽来て余を送る 十字過発


④明治4年3月3日から5月16日まで。
 この間、野村靖、三好軍臣、三浦梧楼、井上馨などが来訪しています。
 3月28日には藩主毛利敬親が亡くなっており、悲嘆にくれています。廟が出来てからは毎日参詣しています。
 3月29日には、1月9日に暗殺された広沢真臣の遺髪が山口に帰ってきたので広沢宅で迎えています。
 5月13日には御堀耕助(※旧名太田市之進。元御楯隊総督)が亡くなったと知らせが届きました。私の友人が最近みな亡くなっている、残るものはわずかに数名となった、今日また訃報を聞いて悲しみに堪えられないと記しています。
 5月11日には、大和(※大和弥八郎?)高杉(※高杉晋作)長嶺(※長嶺内蔵太?)広沢(広沢真臣)の未亡人を招いています。このときは森清蔵妻(井上馨妹)と井上馨も来訪しています。
 また、高杉晋作の子東行、山田宇右衛門(※藩重臣。慶応3年病没)の子熊太郎が来訪、ともに東京へ連れて行き、学業を援けようと図っています。

明治4年
■3月3日(この日まで上京。前日帰鴻)
 (前略)今日与諸氏糸米に欲至為雨不能歩(後略)
■3月9日
 (前略)湯田に至り其より糸米之旧宅に至り六字過帰宿(後略)
■3月10日
 (前略)十二字過金毘羅社に詣法泉寺の旧宅を廻見し帰る(後略)
■3月11日
 (前略)五字糸米の旧宅に帰る
■3月12日
 晴 朝来客来福原三蔵三好軍太郎等亦来る 文平来て種桜楓数本 三輪宗亦来る 昨日朱檀之台草花一盆持せり 十一字藩庁へ出(後略)
■3月13日
 晴 野村靖之助来る 諸子のすすめにより今日より馬関招魂祭行の約あり且長府人にも面会せんと欲十一字頃より三好と三田尻に至る(後略)
■3月22日
 (前略)今日より糸米之旧宅へ帰れり
■3月23日
 雨 齋藤栄蔵来る 吉春来話し 二字頃久保来談(中略)六字過帰家 今夕片山一家内大津翁など来訪 夜野村より一書を寄す 直に回復す
■3月24日
 雨又曇 十一字頃藩庁へ出(後略)
■3月25日
 (前略)十二時前帰家 今日知事公御下りの由昨日河北一より相通せり 一旦老公御不快に付御様子不相分之処漸々御折合に付四字頃御下りあり 山縣弥八大津四郎右衛門奥平数馬御前へ出御噺等申上けり 御近昵四人も亦御席へ出り 七時前御帰館被遊八字頃諸氏も皆去れり
■3月26日
 晴 十字過御住居へ出御病気の御様子を窺へり(※毛利敬親危篤)
■3月29日
(前略)御寝所御遺骸を拝す 実に不堪惨歎四字退庁 御墓地を巡見し五字過帰家 今日広沢謙蔵幷従者とも障岳故友の髻髪を護帰す 依て広沢の宅に至り迎侍す 大津柏村の二氏来在 八字頃着 九字頃帰家 終日思君痛歎悲泣又思友流涕悲歎不可語之心情(※ 前日毛利敬親逝去)
■4月1日
 晴 旧友難波伝兵衛旧主清水清太郎を同行 先清太郎無二の益友甲子之変屠腹而死当清太郎は備中の人也長左衛門宗春の血統也と云 対州人来る 片山次右衛門小野為八吉(空白)等来話 十字頃竹田祐伯を訪ひ(中略)七字前帰家(後略)
■4月2日
 刺賀佐兵衛岡義右衛門宍道(空白)内藤次郎(空白)長府三好周亮等来訪 山田市之允元会人日下一郎を同道にて来る(中略)李家文厚三好軍太郎岩岡安田(空白)等来る 与諸氏前途之事を談ず 十一字頃出庁(後略)
■4月3日
 (前略)十字過帰家
■4月4日
 雨 三條岩倉二卿井上世外山縣素狂等への書状留守状等を認中山澄江へ託す 北川来訪 四字前出庁(後略)
■4月5日
 (前略)四字前帰家
■4月6日
 雨 十一字出庁(後略)
■4月7日
 (前略)二字頃帰家 中村芳之助来話 河邨来訪 夜笠原半九郎江木清二郎来話 内外之時情を談論 十二字頃皆去 今夕新見某徳山知事公之御使にて来る(後略)
■4月8日
 晴 徳山遠藤貞一郎来話し 本末併合之事を論す 十一字出庁(中略)四字頃帰家 奥平小幡来て在家萬代屋大工正兵衛を同行せり 深川(空白)亦来る 閑酌相談 九字頃皆去 奥平一泊せり
■4月9日
 晴 八字頃中村芳之助来て談陸軍局之事 九字過湯田に至り山田と兵事の事を談す(中略)八字頃帰家
■4月10日
 晴 七時出庁(後略) ※この日、毛利敬親の埋葬
■4月13日
 (前略)六字過帰家 三浦五郎亦帰鴻一書を送れり 福井順道杉山耕太郎の書状来る 夜草刈来泊
■4月14日
 曇 井上世外三浦五郎来て東京之近情を談話 福原内蔵之允中島四郎久保断三野村素介等来訪(後略)
■4月15日
 曇 今朝より松正二郎深川に至る 福原太郎兵衛大津四郎右衛門来訪 八字頃出庁(中略)二字帰家直に出立之用意をなせり三字出家(後略)
■5月3日(この日まで長門方面へ。1日帰鴻))
 (前略)十一字頃忠正公の廟に参詣し帰途高杉へ寄り直に帰家 岡義右衛門岡竹之進来泊
■5月4日
 晴 炎熱如蒸 大津四郎右衛門天野順太石部禄郎小幡彦七曽根玄三児玉少輔菊屋孫太郎其外一時客来過廿人佐畑健助来る(中略)高杉小忠太来訪 昨日余高杉に至り東行の男梅太郎を東京へ誘引せんことを謀る 一家許諾せり 依て小忠太為其に来話 梅太郎も亦来る 当年八歳なり 東行は余の知己不幸にして先年已歿 余不能忘知己(中略)十一字出庁(中略)萬代屋にて井上世外に落合共に山城屋片山に寄り七字頃帰家
■5月5日
 晴又曇熱甚十一字忠正公の廟を拝し其長屋藤兵衛を訪又杉猿村を訪ひ帰途片山に寄り七字頃帰家
■5月6日
 晴 山田熊太郎来る 父宇右衛門為国家功労不少故に余熊太郎を東京へ誘行し学業を助けんと欲す 高杉梅太郎も日々来遊 福原清助石部禄郎伊藤伝之助来訪 十一時忠正公の廟へ参拝(中略)八字前帰家 于時奥平健助来て在家
■5月7日
 晴 吉松平四郎青木郡平等来る 十一時頃門出(中略)八字頃杉久保同道糸米村舎へ帰れり(後略)
■5月8日
 晴又曇 田中稔助東京より帰り山縣(宍戸)三郎山縣狂助等之書状数通来る 近日大久保参議西郷兵部権大丞等之山口へ来着の由(中略)福原内蔵之允児玉吉十郎等来る 宮木貫一郎も亦来る 一字頃忠正公の御廟に参詣し其より安玄佐を訪ひ中村屋片山三輪惣に至り帰家せり 御堀(※耕助)不快両三日一入不手際の由鈴木申来る 病人より竹田佑伯来診の事を余に頼越せり 依て此趣を柏村杉へ通し竹田へも亦余より一書を投せり
■5月9日
 晴河村亀之進来訪少壮有志のもの修業等を談話せり七時過出庁(中略)九字前帰家奥平健介内垣末吉来泊 尤末吉は過日来て続て我家に泊せり 馬関の池田良助来り泊す(後略)
■5月10日
 晴 奥平健助内垣末吉小郡に至る 宮木貫一郎来る(中略)十一字出庁(中略)二字過帰家山縣弥八正木市太郎井上半三郎天野順太奥平数馬宮木直之進大津四郎右衛門幷片山次右衛門等来る 入夜皆散 奥平泊す(中略)夜半腹痛にて甚苦む 奴清吉も吐瀉にて尤苦めり 夕刻時々細雨
■5月11日(※この日より16日まで大久保利通、西郷従道来山)
 晴 岡義右衛門竹田庸伯岡了亭山本清吉柴田矢之助長府(空白)等来る(中略)十字過出庁(中略)三輪惣に至る大久保未着に付暫待合せ帰家せり 今日大和高杉長嶺広沢等の寡婦を相招けり 森清蔵妻なと来話 井上世外も亦来訪せり 十一時過皆散
■5月12日
 晴 五字三輪惣に至り大久保西郷を訪ふ 互に東西の情実を語る(中略)退庁直に忠正公の廟へ参拝し帰家せり 今日の熱気尤甚敷九十度に及へり 奥平数馬佐藤寛作山本清吉等来話(中略)九字頃野村靖之助三好軍田老南野一郎小松謙二郎等来る(中略)奥平一泊 平原平右衛門来る
■5月13日
 晴 十一字頃一時大雨雷鳴 安玄佐父子来る 井上世外来話し(中略)礒部吉蔵父子来る 二字後忠正公の廟に参拝(中略)薄暮高杉へ寄り直に帰家 奥平其外客来 奥平は一泊せり 小林武兵衛来て御堀(※耕助)今十二時死去の由を告け且後事を相談せり 実に可憐之至也 余之朋友近来皆没 残るもの纔(※わずか)に数名今日又此訃聞を得公私の事を想像しても不堪悲歎也 今日河内棋太郎への頼む松の木柱を求めり

■5月14日
 晴 財満百合熊其他客来数名 十一字出庁(中略)客館に至り大久保西郷を饗応するの約束をなせり(中略)余は腹痛にて甚難儀せり 推て客館に至り九字頃帰家 途中島田に寄り薬一服を乞ふ 今夕小幡奥平来る 小幡崋山の一幅を頼置けり 奥平は相泊
■5月15日
 晴 昨夜来腹合甚悪尤難儀せり 井田兵部大丞来訪 吉田宇一郎宮木直蔵福島吉右衛門境栄蔵木梨彦右衛門同精一郎山縣源八萬代屋三輪惣(空白)正兵衛来る 十字過大久保西郷を訪ふ(中略)五字過帰家 山縣弥八井上半三郎大津四郎右衛門福原清介内藤又右衛門長屋藤兵衛久保断三藤井某正木市太郎児玉七十郎有地熊蔵菊屋孫太郎安部平右衛門等其他数十人客来朝より不絶 十字過に至り皆散す
■5月16日
 晴 坐客充満 九字前発足


⑤明治7年7月9日から10月25日まで山口に帰っていますが、すでに糸米の邸には住んでおらず、旅館に宿泊していました。この間、2回、糸米の邸を訪ねました。

◎明治7年
(7月9日来鴻。宿泊は安部平右衛門)
■7月29日
(前略)四字後糸米に至る 上山正木馬木井上村尾来集 十字過帰寓
■8月12日
(前略)十字より糸米旧宅に至り正木藤田馬来進等来訪(中略)十字帰寓 今日白雨如傾盆夜中尤涼し
(8月15日萩へ。10月12日帰鴻。10月25日上京)

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